ソ連の「ハードボイルド絵画」:ヴィクトル・ポプコフの代表作10選

ヴィクトル・ポプコフ(1932~1974年)は、20世紀後半のソ連における主要な画家の一人だが、若くして非業の死を遂げた。しかし、同志たちとともに、芸術の新たな潮流を生み出すことができた。

1. 『ブラーツクの建設労働者たち』(1960~1961)

 当時、ヴィクトル・ポプコフは、モスクワのスリコフ美術大学を卒業して間もなかった。彼の最初の大作の1つであり、おそらく最も有名な作品でもある。美術評論家らはこれを、ソ連の“ハードボイルド絵画”のスタンダードとしている。ブラーツク水力発電所の建設というテーマは、多くの画家や詩人の関心を集めたが、ポプコフは、特異な観点から労働者たちを捉えた。ここでは、彼らは建設にいそしんでいるわけではなく、それぞれが自分らしい、独特のポーズをとっている。

2. 『休憩する作業班』(1965) 

 この画家のかなりの作品は、労働者だけでなく農民をも題材としている。ソ連時代の最も重要なテーマの1つは未開地の開拓だった。ここでもまた、ポプコフは、厳しい労働そのものではなく、休息を描いている。そして、それは強い象徴的なイメージを生み出す。円形の構成は、チームのまとまりを示すとともに、イコン(聖像画)にも通底している。

3. 『職場へ』(1961) 

 1950年代後半、ポプコフは、シベリアをしばしば旅し、ソ連の大規模な建設プロジェクトにおける労働者らの暮らしを、目の当たりにした。この絵も、彼らの日常生活の一コマであり、また社会主義リアリズムの鮮やかな一例でもある。メランコリックで、時に悲劇的なポプコフの作風において、光と前向きな気分にあふれた絵はかなり珍しい。 

4. 『ボロトフの家族』(1968)

 ポプコフは、日常的でかなり個人的な題材をよく取り上げる。一見単純な状況だが、絵の中には生活の全体がにじみ出ている。ポプコフは、口論の後と明らかに分かる、妹の家族を描いた。こうした場面とそのディテールは、ソ連のどの家族にもおなじみで、よく理解できるものだ。 

5. 『ふたり』(1966) 

 この絵は、日常的なジャンルへのポプコフの関心の真髄を示す。また、「雪解け」の時期の美学を体現しており、1960年代のヨーロッパのネオリアリズムに触発された面も感じられる。1967年、この作品は、フランスのパリ・ビエンナーレの第5回青少年展で特別賞を授与された。この展覧会は、日常的なジャンルへの新たな関心を呼び起こした。

6. 北の歌『ああ、夫たちはみな戦争に連れて行かれた』(1966~1968) 

 ポプコフの暗い絵画の最も重要なテーマは、戦争体験だ。しかし彼は、戦闘シーンを描かない。彼の主人公たちは、近親者を失った普通の人々だ。

7. 『思い出:未亡人たち』(1966)

 この2㍍のキャンバスでも、ポプコフは、孤独を描き出している。ここでの題材は、画家がロシア北部で目の当たりにした、痛ましい暗鬱な状況に触発されている。彼は、孤独な未亡人たちが村で余生を過ごしているさまを見た。

8. 『私の一日:出会い』(1968)

 これは、イーゼルの前に立つ画家の自画像だ。年配の女性には、ポプコフの母親の面影がある。この隠喩的な作品には、画家の創造活動への自省が反映している――彼は、過去を振り返り、未来を見つめている。

9. 『アニシヤばあさんは善い人だった』(1973) 

 ポプコフには、「葬式」を題材にした作品が多い。画家は、人の喪失、人の死というテーマに非常に関心を抱いていた。彼自身も42歳の若さで亡くなっている。この大きな絵画は、モスクワの画家会館での告別の際に、彼の棺の傍らに置かれた。 

10. 『秋雨:プーシキン』(1974)

 この大きな絵画は、ポプコフが最も愛する詩人に捧げられたもので、ポプコフ最後の作品の1つだ。プーシキンの姿は、彼の作品に何度も現れている。画家は、この絵を描く1年前に「プーシキンスキエ・ゴールイ(プーシキンの丘)」を訪れている。これは、詩人が数年間、流刑生活を過ごした、自身の領地ミハイロフスコエ(プスコフ近郊)の邸宅だ。

*ヴィクトル・ポプコフの悲劇的な死から50年経つ。これにちなんで、トレチャコフ美術館新館(カダショフスカヤ河岸通り)で、彼の作品の大回顧展が開かれている。期間は、2025年5月11日まで。

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