1. 『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督、1925年)
この名画は、古今東西の最も重要な傑作映画のリストに含まれる。無声映画で、1905年の第一次革命の引き金になった黒海艦隊水兵の反乱を描いている。
2. 『十月』(セルゲイ・エイゼンシュテイン、グリゴリー・アレクサンドロフ、1927年)
1917年のロシア革命の10周年を記念して、セルゲイ・エイゼンシュテインは、次の傑作を撮った。ペトログラード(現サンクトペテルブルク)での1917年10月の革命的な出来事と冬宮襲撃が中心に描かれている。この映画は、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンを映画で具象化する最初の試みでもあった。エイゼンシュタインは、実際の出来事を再現しようとしたのではなく、意図的に革命についての神話を創り出したと考えられる。
3. 『陽気な連中』(グリゴリー・アレクサンドロフ、1934年)
これは、ソ連初のミュージカル・コメディであり、その製作をスターリン自ら命じた。音楽と歌が溢れ、ソ連の人々の生活と産業の成果を褒め称える。この映画に取り組む前に、アレクサンドロフ監督はハリウッドに行き、そこでミュージカルの創作状況を視察した。この映画により、リュボーフィ・オルロワと歌手レオニード・ウチョーソフがスターとなった。ウチョーソフは、アメリカでも有名になり、チャーリー・チャップリンは彼について好感をもって語っている。
4. 『サーカス』(グリゴリー・アレクサンドロフ、1936年)
これも、リュボーフィ・オルロワが主役を演じたミュージカル映画だ。そのプロットでは、ソ連が、米国のサーカスの女性アーティストにとって新たな故郷となる――ここで、彼女は幸福と愛を見出す。この映画は、ソ連の平等と寛容を宣伝するものでもあった。
また、この映画では、オルロワ以外に、ジェームズ・パターソン演じる小さな黒人少年が真のスターとなった。この俳優の父親は、より良い生活を求めて米国からソ連に移住していた。
5. 『アレクサンドル・ネフスキー』(セルゲイ・エイゼンシュテイン、ドミトリー・ワシーリエフ、1938年)
この映画もエイゼンシュタインの大作であり、公開されるや直ちに「生ける古典」となった。リヴォニア騎士団との戦いに勝利した古代ロシアのアレクサンドル・ネフスキー公を描いた映画。この映画の最も壮大なシーンの1つが「氷上の戦い」だ。この場面では、重い鎧を着た騎士たちがチュド湖の氷の下に落ちていく。しかし、興味深いことに、このシーンの撮影は、夏にモスフィルムの敷地内で、特別なセットを組んで行われた。その結果、映画は、「偉大な祖先の勇敢なイメージ」を生み出し、スターリンの推奨するところとなった。
6. 『クバン(クバーニ)のコサック』(イワン・プイリエフ、1949年)
ソ連の幸福な生活を描いた戦後のミュージカル・コメディ。農村博覧会の前に、南部の2つの集団農場が生産性を競い合う。筋をさらにスリリングにしているのは、いわゆる模範労働者とそのライバルが実は愛し合っていることだ。スターリンは、このコメディをとても気に入ったが、次代の指導者フルシチョフは、現実を糊塗しているとして、この映画を長年お蔵入りにした。1960年代後半に映画は復活。わずかに修正されたバージョンがリリースされた。
7. 『カーニバルの夜』 (エリダール・リャザーノフ、1956年)
リャザーノフ監督の最初の「お正月映画」の一つだ。つまり、大晦日のテレビ放映が恒例化している。彼は後に、やはり伝説的なお正月映画の『運命の皮肉』を製作することになる。
プロットでは、文化会館のスタッフが、新年の仮装舞踏会の準備をしている。館長は、それにやたらと変更を加え、楽しいプログラムをもっとマジメで「イデオロギー的に正しい」ものにしようと躍起だ。このコメディは音楽、ジョーク、無邪気ないたずらでいっぱいだ。また、これは、若きリュドミラ・グルチェンコが一躍スターになった作品でもある。
8. 『鶴は翔んでゆく』(ミハイル・カラトーゾフ、1957年)
戦争シーンがほとんどない叙情的なドラマだが、世界の戦争映画の古典となっている。悲劇は前線だけでなく後方でも起きることを、鮮やかに見せた。愛する人を失った人々がいかに多くの不幸に見舞われることか…。恋人同士が夜明けまでモスクワを散策していると、早朝に戦争が始まったことを知る。
これまでのところ、カンヌ国際映画祭で最高賞「パルム・ドール」を受賞したソ連・ロシア唯一の映画だ。
9. 『僕の村は戦場だった』(原題は『イワンの子供時代』)(アンドレイ・タルコフスキー、1962年)
名匠アンドレイ・タルコフスキーの最初の映画だが(卒業制作の『ローラーとバイオリン』を除けば)、すでに彼独特のスタイルは明らかだ。この映画は、戦争を、そしてそれがイワン少年から家族と子供時代をいかに奪ったかを描き出している。幼いが機敏でとても勇敢な少年は、両親の死後、赤軍を助け、重要な任務を遂行しようとする――彼は危険な偵察任務に赴く。
この映画は、ヴェネツィア国際映画祭で初めて金獅子賞を受賞した。
10. 『僕はモスクワを歩く』(ゲオルギー・ダネリヤ、1963年)
ソ連の「雪解け」の最も象徴的な映画の一つで、希望に満ち、とても楽天的だ。シベリアから若い男が首都にやって来て、そこで地下鉄の若い建設労働者と出会う。2人の新しい友人は、いっしょに街を歩き回り、途中で出会ういろいろな疑問や問題を解決していく。この映画は陽光に満ち溢れ、モスクワの美しい景色が描かれている。映画の歌は、モスクワのいわば非公式の市歌になっている。ちなみに、これは、若きニキータ・ミハルコフが初めて大役を演じた映画だ。
11. 『戦争と平和』(セルゲイ・ボンダルチュク、1965~1967年)
最も成功したソ連映画の一つで、ソ連のみならず外国でも傑作と認められている。『戦争と平和』は、1969年にソ連映画として初めて、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。また、同年のゴールデングローブ賞も獲得。
この叙事的な超大作は、レフ・トルストイの原作小説の最高の映画化とみなされている。撮影は極めて大規模で、9千着を超える歴史的な衣装が縫製され、戦闘シーンには1万5千人以上が参加した。
12. 『ありふれたファシズム』(ミハイル・ロンム、1965年)
広く流布したドキュメンタリー映画だ。ファシズムの歴史とナチス・ドイツの台頭、そして第二次世界大戦の惨禍を描いている。ロンム監督は、戦利品のフィルムや写真を映画の中で使用し、モンタージュにより、単なるプロパガンダ作品ではなく、非常にエモーショナルな映像を生み出した。
13. 『アンドレイ・ルブリョフ』(アンドレイ・タルコフスキー、1966年)
中世ロシアのイコン画家アンドレイ・ルブリョフの生涯を描いている。この映画は、ソ連映画の中でも特筆すべき位置を占めている。哲学的な深みをもった独創的な作品だ。それは、偉大な創作であるイコン『聖三位一体』だけでなく、ロシア正教とロシア全体をも新たに開示する。ルブリョフの人格は、長きにわたった「タタールのくびき」の後のロシアの精神的復活にとって、大きな意義をもった。タルコフスキーならではの難解なこの映画は、ソ連の知識人にとって極めて重要な事件となった。
14. 『ダイアモンド・アーム』(レオニード・ガイダイ、1968年)
ソビエト映画史上、最高の興行収入をもたらした映画の1つ。 レオニード・ガイダイ監督の、誰もが傑作と認めるこの作品からは、今日でも「人口に膾炙する」名文句が数多く生まれた。この映画のジャンルは、体当たりの演技で笑いをとる、いわゆる「スラップスティック・コメディ」であり、ギャグ、音響効果、音楽の効果が駆使されていて、ソ連国民なら誰でも理解できるし、とにかく面白い。
密輸業者たちは、控えめで正直なソ連人男性を仲介業者と混同し、ダイアモンドを埋め込んだ石膏ギプスを彼に取り付けた。盗賊たちはこのダイアモンドを回収しようとし、ソ連の警察は主人公に、犯罪者の摘発に協力するよう依頼する。主役は、名優ユーリー・ニクーリンのために特別に書かれた。
15.『幸運の紳士たち』(アレクサンドル・セールイ、1971年)
普通のソビエト市民である幼稚園の園長が、「准教授」というあだ名の犯罪組織のリーダーと驚くほど似ていることが判明した。警察は園長に、強盗とその共犯者を捕まえるのを手伝ってほしいと頼み、園長を刑務所に潜入させ、海千山千の犯罪者に扮させる。最終的な目標は、発掘中に盗まれたアレクサンダー大王の黄金の兜を犯人たちがどこに隠したかを突き止めることでもある。
1972 年、このコメディは、ソ連の映画界を文字通り震撼させた。今日、評価と世論調査に基づいて、『幸運の紳士たち』は、モスフィルム史上最高の映画とされている。そしてもちろん、映画中の多くのセリフは、キャッチフレーズになり、今でも広く使われている。
16. 『イワン・ワシーリエヴィチは職業を変える』(レオニード・ガイダイ、1973年)
ソ連の観客の心を掴み、大ヒットした、ガイダイのもう一つのカルトコメディだ。ソ連の科学者がタイムマシンを発明するが、誤って自分が住むビルの管理人をアパートの泥棒とともに、中世に飛ばしてしまう。時を同じくして、イワン雷帝がソ連時代のモスクワに紛れ込む…。
ミハイル・ブルガーコフの戯曲を自由に翻案している。この作家の作品は、ソ連時代には、名作『巨匠とマリガリータ』をはじめ、事実上禁書となっていた。
17. 『鏡』( アンドレイ・タルコフスキー、1974年)
タルコフスキーの最も重要な代表作の1つ。非常に個人的な自伝的映画でもある。彼は、独自の映像によるメタファーで、子供時代、家族、母親について、さまざまな芸術の引用、引喩を交えて語っている。この映画には明確なプロットはなく、夢、そして人生や世界の出来事の断片的な記憶で構成されている。また背景として、監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの詩が聞こえてくる。
18. 『光と影のバラード』(ニキータ・ミハルコフ、1974年)
ロシア内戦を描いた映画で、赤軍兵士、秘密警察、盗賊団が富豪から没収した金を探す。このアドベンチャー映画は、「イースタン」(「ウエスタン」のアナロジー)のジャンルで製作された。アクションシーン、戦闘、スタントがふんだんに盛り込まれている。
今日では、古典的名画として認識されているが、ニキータ・ミハルコフの初の長編作品であり、彼自身も主要な役の1人を演じた。
19. 『デルス・ウザーラ』(黒澤明、1975年)(*ロシア語の発音は「デルスー・ウザラー」に近い)
モスフィルムと日本の名匠の共同作品は、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。黒澤は、フョードル・ドストエフスキーの小説を基にした映画『白痴』を監督しており、ロシア文化への愛をすでに示していた。
ここでは彼は、探検家ウラジーミル・アルセーニエフの民俗誌的な物語『ウスリー川沿岸地域を行く』と『デルスー・ウザラー』を映画化した。アルセーニエフは、極東へ探検に赴き、そこで先住民族のナナイ人で狩人のデルスー・ウザラーに助けられた。
20. 『運命の皮肉、あるいはいい湯を』(エリダール・リャザーノフ、1975年)
最も有名で広く愛されているソビエト映画の1つ。毎年の大晦日、12月31日に必ずテレビで放映される。飾られたクリスマスツリーやオリヴィエ・サラダと同じく、ロシアの新年のシンボルとなっている。
この叙情的なコメディは、主人公がモスクワで大晦日に友人たちと酔っ払って前後不覚になるところから始まる。主人公は、手違いで、友人の代わりにレニングラード行きの飛行機に乗せられてしまう。いつもと同じ典型的な住宅街にやって来た彼は、それと気づかずに他人のアパートに入ってしまう。
21. 『ミミノ』(ゲオルギー・ダネリヤ、1977年)
この映画は、ソ連時代のグルジア(ジョージア)の、その色彩豊かな大自然の、そしてもちろんそこに住む人々の真の賛歌だ。主役は、俳優・歌手ヴァフタング・キカビゼが演じた。
主人公――愛称はミミノ――は、小型機のパイロットだ。ヘリコプターでグルジアの山間部を飛んでいる。しかし、彼は、再訓練を受けて国際線パイロットになろうと決意。そのためには、モスクワに行かなければならない。彼の夢は実現しつつあるが、故郷の山を忘れることはできない。
グルジアの歌「チト・グヴリト」は、連邦解体後の今も、旧ソ連圏の誰もが歌っている。
22. 『シベリアーダ』(アンドレイ・コンチャロフスキー、1978年)
この4部構成の大作は、カンヌでグランプリを受賞した。シベリアの2つの家族の数世代にわたる物語だ。観客は、20世紀の大事件――革命、内戦、そして第二次世界大戦――を背景に、彼らの私生活の変遷をたどる。
この映画には、ヴィタリー・ソローミン、ニキータ・ミハルコフ、リュドミラ・グルチェンコなど、ソ連の有名俳優が多数出演していた。
23. 『モスクワは涙を信じない』(ウラジーミル・メニショフ、1979年)
この映画も、オスカーを獲得し、ソ連の年間興行収入1位となった(ソ連史上、興行収入2位を記録している)。これはメロドラマで、「雪解け」の時期にモスクワで一旗揚げようとやって来た田舎の少女を描く。そして、運命が彼女に投げかけた多くの障害や逆境にもかかわらず、彼女は、高いキャリアを築く。しかし彼女は、長い間愛を見つけることができなかった…。
この映画のセリフの多くが有名になり広まった。とくに「40歳なんて、人生はまだ始まったばかり」。そして、セルゲイとタチアナのニキーチン夫妻が歌ったサウンドトラック「アレクサンドラ」は、非公式のモスクワ市歌となった。
24. 『ストーカー』(アンドレイ・タルコフスキー、1979年)
SF作家のストルガツキー兄弟が、タルコフスキーとともにこの映画の脚本に取り組んだ。この映画は、ソ連で人気を博していた、兄弟の幻想的な物語『路傍のピクニック』に基づいている。
タルコフスキー独自の映像により、SF作品は、欲望の危険についての哲学的な寓話に変わった(それは、チェルノブイリ原発事故もある程度予見していた)。監督は、「生涯を通じてこの映画の準備をしてきた」と語り、本作が自身の創作活動の集大成だと考えていた。
映画はカンヌで審査員特別賞を受賞し、アメリカ、フランス、ドイツでも映画館を満席にした。
25. 『愛と鳩』(ウラジーミル・メニショフ、1984年)
オスカー受賞監督による叙情的なコメディ。『モスクワは涙を信じない』は、ソ連のすべての国民に最も愛される映画の1つとなった。しかしこの作品では、舞台はもうモスクワではなく、田舎の僻地だ。
そこには、素朴な労働者のワシリーが家族といっしょに住んでいる。彼は、夢想家で、鳩が大好きで、鳩小屋の世話をしているが、妻は、軽薄でくだらないことにお金を浪費していると、彼に「小言」を言う。ある日、ワシリーは、海辺の保養地へ行き、そこで田舎の妻とはまったく違う、都会の軽薄な女性と出会う…。
26. 『炎628』(原題は『来たれ、そして見よ』)(エレム・クリモフ、1985年)
大祖国戦争(独ソ戦)に関する最も真実で残酷な映画の1つ。1943年のベラルーシでの出来事がティーンエイジャーの目を通して描かれている(主人公の少年を演じたアレクセイ・クラヴチェンコの演技が実に素晴らしい)。そして、戦争は大規模な戦闘や大きな勝利だけではなく、小さな人間の命がけの闘いでもあることが分かる。
この映画は、同年のソ連映画界における主要な出来事となり、世界的に認められた。監督によると、外国でこの映画が上映されていたときは、映画館の傍に救急車が待機しており、感動しすぎた複数の観客を搬送したという。
27. 『不思議惑星キン・ザ・ザ』(ゲオルギー・ダネリヤ、1986年)
ソ連の普通の市民が、偶然エイリアンに出会い、彼を特別なテレポート装置によって砂漠へ連れて行く。それは、本当に別の惑星だと分かった。宇宙をめぐる、このメタフォリックな物語は、社会階層の対立への微妙な風刺だ。
多くの観客や批評家は、この映画を理解できず批判した。だが、ダネリヤの繊細なユーモアは、多くのファンを得ている。そして、空想上のテレポート装置の名前に使われていた「ペペラツ」という言葉は、今でもロシア語の日常会話でさまざまな車や航空機を指すのに用いられている。
28. 『メッセンジャー・ボーイ』(カレン・シャフナザーロフ、1986年)
このペレストロイカ期の映画は、現在モスフィルムを率いるカレン・シャフナザーロフ監督によるもので、大成功した。
モスクワの青年イワンは、学校卒業後は、大学には行かず、配達員の仕事に就いた。ある日、教授の家に原稿を届けた彼は、教授の娘と出会う。彼女は「黄金の若者」に属し、彼は貧しい男だ。しかし、二人は恋に落ちる。彼女の父、教授は何と言うだろうか?そして、その先には何が待っているのか?
29. 『アッサ』(セルゲイ・ソロヴィヨフ、1987年)
この物語は、看護師アリーカと、アルバイトとしてレストランで友人たちと歌っている男、バナナンとの恋、そしてアリーカを囲っているマフィアとの対決を中心に展開する。
今や伝説となったヴィクトル・ツォイの曲「変化がほしい」や、ソ連のアングラのロックを一般人が初めて聴いたのが、この「アッサ」だ。ソロヴィヨフ監督は、メタフォリックな実験的映像で、ソ連末期の雰囲気を微妙に伝えている。この映画はロシアのペレストロイカ賛歌となった。
30. 『令嬢ターニャ』(原題は「インテルデーヴォチカ」)(ピョートル・トドロフスキー、1989年)
まったく新しい時代と新しい生活条件…。これらの新現象が、従来のソ連の生活とどのように出会うのか。映画はそれについて語る。
映画は、旧来のソ連映画では想像しにくいヒロインたちに焦点を当てている。外国人目当ての「外貨稼ぎの」娼婦たちだ。映画は、彼女たちの日常生活、さまざまな問題、貧しい家族、美しい生活への夢、そしてもちろん大きく純粋な愛について語っている。