ソ連アウトロー最大のヒット曲『ムルカ』とは?

ドラマ『ムルカ』の1シーン

ドラマ『ムルカ』の1シーン

Anton Rosenberg/Studio Bonanza, 2017

 『ムルカ』は、いわゆるロシアン・シャンソン最大のヒットといえる。この歌はマルーシャ・クリーモワという女性についての曲で、彼女は窃盗団に潜入したMUR(モスクワ刑事捜査部)の捜査官だった。実際にあった出来事に基づいた内容だ。

 本名はマリーヤ・ニキーフォロヴナ・クリーモワ。1897年、ヴェリーキー・ウスチュグ市生まれ。一説によると、彼女はMURで医師として勤務していたというが、秘密警察チェーカー(反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会)の捜査員だったともいう。

 1920年代、黒海沿岸の都市オデッサでは「ブリリアント」の通称を持つギャングが率いた犯罪組織があった。モスクワの捜査官たちが組織の撲滅に動いていたが、誰もリーダーの顔を知らなかった。1921年、ブリリアントを割り出すためにモスクワからオデッサに捜査員グループが送られ、彼らは「旅芸人」、すなわち、流れ者の泥棒集団を装った。その中に、マルーシャ・クリーモワもいた。

 彼女は、ボリシェヴィキと反目していた革命家ネストル・マフノの同志のふりをして、ブリリアントの気を惹く役目だった。マフノはオデッサ周辺で支持を受けており、「旅芸人」グループはオデッサの犯罪界に歓迎された。しかし組織の構成員が逮捕され始めると、組織は疑問を持ち始めるようになる…

ヴェリーキー・ウスチュグにあるマリーヤ・クリーモワの像

 最終的に、事態はレストランでの銃撃戦に発展する。ブリリアントと配下たちは、別のギャングと同席しているマルーシャを目撃して、ブリリアントは嫉妬にかられた。「ムルカ」は胸、腕、頭部に計3発の銃弾を浴びた。現場にはブリリアントを含め20人の死体が残されたが、彼女の姿は無かった。

 マルーシャ・クリーモワのその後については、断片的にしか分かっていない。1952年に彼女は予備役警察大尉の階級で退職した。警察組織にこのような階級が登場したのは1930年代になってからなので、恐らく彼女は定年までMURに務めたのだろう。

 ムルカの歌詞は1920年代初頭にオデッサの評論家ヤコフ・ヤドフ(ダヴィドフ)が書いた。歌詞とメロディーは若干異なっていたが、やがて人口に膾炙すると、様々なバリエーションが生まれていった。

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