『第三惑星の秘密』は日本のアニメに対するソ連からの「応答」だった?

露日コーナー
ニコライ・コルナツキー
 伝説の『チェブラーシカ』シリーズの監督による、ロシアで最も愛されているアニメの一つは、日本のアニメがなければ存在しなかっただろう。それはなぜだろうか?

 『第三惑星の秘密』(1981 年)は、ロシアで最も愛されているアニメの一つだ。これは、未来から来た女子生徒アリサ・セレズニョワ(12歳くらいの設定)の 宇宙の旅を描いたもので、上映時間は50分。彼女は、動物学者の父親とクルーとともに、地球の動物園のために地球外の動物を集める旅に出た。その過程で、彼女は「海賊」と戦い、ロボットの惑星を救い、ある宇宙飛行士の失踪の謎を解明しなければならない。

 アニメの原作は、ソ連のSF作家キール・ブルイチョフの小説だが、一つ面白いのは、『第三惑星の秘密』は、日本のアニメがなければ存在しなかっただろうということだ。

ソ連の短編アニメ革命

 1940 年代~1950 年代に、「ソユーズムリトフィルム」は、定期的に長編映画を制作し、その多くは日本でも配給された。これは、ソ連の主要なアニメーション・スタジオで、モスクワに拠点を置いていた。

 たとえば、イワン・イワノフ=ワノ監督による『せむしの仔馬』(1947年)は、当時医学生だった手塚治虫に非常な感銘を与え、医師のキャリアから漫画に注力、専念するきっかけとなった。また、その10年後のレフ・アタマノフ監督による『雪の女王』(1957年)は、宮崎駿にアニメーションの魔法のような可能性を確信させた。

 児童作家サムイル・マルシャークの童話『森は生きている』(原題は『十二の月』)を日本で広めたのもやはり、イワノフ=ワノ監督による同名のアニメーション(1956年)であり、後には日本でリメイク版(ゲームとアニメ)が制作され、舞台でも上演されている。

 しかし、すでに 1960 年代初めには、ソユーズムリトフィルムは、長編アニメ制作を事実上放棄した。これには、組織・運営上と生産上の理由が複雑に絡んでいた。このスタジオは元々、ディズニーの「ベルトコンベア方式」の原則に基づいて、 1936 年に組織された(つまり、制作は、一連の作業に分割され、各工房で順次行われていく)。それが、制作の可能性の限界にぶつかってしまった。

 ソユーズムリトフィルムは、一度に 1 ~ 2 作の長編アニメしか制作できず、しかも、それさえ長期間かかり遅れがちだった。そして、どの段階でもわずかな遅滞があれば、スタジオ全体の作業が停止してしまった。監督たちは、自分の制作の番が始まるまで何年も待つこともあった。

 ソ連の計画経済の現実では、締め切りに遅れたり、予算を超えたりすることは一切許されなかった。だから、長編を一本制作するよりも、それと同じ長さの短編を複数作る方が有利であることが分かった。

 ソ連アニメの「黄金時代」の到来は、多くの面で、短編形式への移行によるところが大きかった。小さな形式は、制作者をステレオタイプから解放し、探求の可能性が広がった。こうして、新しいジャンル、スタイル、テクニックが登場した。

 フョードル・ヒトルク監督の『ヴィンニ・プーフ(くまのプーさん)』、エドゥアルド・ナザーロフ監督の『犬が住んでいました』、ボリス・ステパンツェフ監督の『男の子とカールソン』、その他、ロシアで今でも記憶され愛されている多くのアニメが制作されたのはこの時期だ。

 しかし、それらはテレビでしか見られなかった。映画館は、短編映画の上映に気乗り薄であり、1~1時間半のかなり大きなプログラムにまとめられても、上映したがらなかった。これらの配給は、長編のそれよりもずっと難しかった。

 その結果、短編アニメへの方向転換により、ソ連アニメの映画館への配給は、1970年代初めには事実上無くなっていた。

最初で最後の「反撃」

 こうして、児童および青少年向けのアニメの配給は、事実上空白となった。その後、日本のアニメ『長靴をはいた猫』が第6回モスクワ映画祭(1969年)で初公開され、成功を収めると、この空白を何で埋めるべきかが誰の目にも明らかになる。

 こうして、その後の20年、十数本の日本のアニメがソ連のスクリーンに登場した。これは、他のどの国よりも多かった。『長靴をはいた猫』や『空飛ぶゆうれい船』(原作は石ノ森章太郎)などはメガヒットとなり、大人たちも見た。たとえば、「水爆の父」で後に反体制活動家となるアンドレイ・サハロフや、『惑星ソラリス』、『ストーカー』の監督である名匠アンドレイ・タルコフスキーは、これらのアニメをしばしば鑑賞したことを日記中で触れている。

 もちろん、ソ連のアニメ監督たちは、これらのライバルに対してやきもきしていたが、彼らが十全な「回答」を出せたのは、ようやく1980 年代初頭のことだ。『映画芸術』誌上で映画評論家アレクセイ・ハニュチンは、ソ連のアニメ『第三惑星の秘密』を、日本のアニメの独占的状況への「我々の長編による最初の『反撃』」と呼んだ。しかし、二度目の「反撃」は続かなかった。

 『第三惑星の秘密』の監督は、伝説の『チェブラーシカ』シリーズを制作したロマン・カチャーノフだ(ちなみに、1960年代には、日本の人形アニメの巨匠、川本喜八郎が彼のもとで研修している)。戦闘シーンなどを含むフィクションは、ジャンルとして、その本質的なペシミズムと残酷さのため、カチャーノフは、実は好まなかった。

 だから、彼はむしろ「おとぎ話」の精神で、そして『空飛ぶゆうれい船』のような凄惨なアニメ映画にはっきり対峙する形で、『第三惑星の秘密』を制作した。『第三惑星の秘密』の映像処理は、よく日本のアニメと比較されるが、アニメーターとして参加したナタリア・オルロワのスタイルはむしろビートルズ初のアニメ映画『イエロー・サブマリン』のそれに近い。そのことはとくに、惑星ブルークの「鳥市場」のシーンで目立つ。

 『第三惑星の秘密』は、青少年の間ではすぐさま大成功を収めた。しかし、驚くべきことに、アニメ・コミュニティ内では、これはむしろ失敗作とみなされていた。とくに日本のアニメと比べては!

 たとえば、フョードル・ヒトルクはこう書いている。「『第三惑星の秘密』には、日本のアニメが優れている、綿密に構築された、紆余曲折のある展開がひどく欠けている」

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