ドミトリー・バルテルマンツは生きている間に世界的な名声を獲得した数少ないソ連の写真家の1人である。
1960年代、彼の写真展はロンドンとニューヨークで大成功を収め、ソ連では雑誌「オゴニョーク」の数百万の読者が、集合住宅の壁に彼の写真のついた雑誌の表紙を飾った。
バルテルマンツのキャリアは1939年にスタートした。数学者であるドミトリー・バルテルマンツは、写真を愛するあまり、学問を捨て、新聞「イズヴェスチヤ」の報道カメラマンとなり、まもなく前線へと向かった。他でもない戦争が彼を世界における古典的写真家の1人にしたのである。モスクワ防衛戦、スターリングラードの戦い、クリミアの戦いを映した写真は彼に栄光をもたらすこととなった。
一方、ソ連では、彼の才能が認められるようになったのは戦争が終わってからである。戦時中は、多くの写真が没になり、採用されなかった。「なぜ君の写真は人が半分しか映ってないのだ?!」などと言われて。戦争の記録写真は、「素晴らしいソ連の兵士」を映した標準的なものでなければならなかったのであるが、バルテルマンツの背後には偉大なるソ連のアヴァンギャルドの時代が到来していたのである。そしてそれが彼のヴィジュアル的な手法を形成し、彼はそれを使って、平和な時代にも、観客らと「対話した」。ここでは彼の戦後の代表的な作品を紹介しよう。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。