1. 『人生案内』1931年
新生国家ソ連では革命と内戦を経て、膨大な数の孤児が発生した。様々な推計があるが、1920年代初め頃にその数は400~700万人に及んだとされる。国は街に溢れた孤児を集めて専用の孤児院に収容し、新しい市民としての教育を施した。
ソ連初のトーキー『人生案内』は、まさにそうしたプロセスを描いている。徒党を組んでいた孤児たちが、労働コミューンで再教育を受ける中で紆余曲折を経るストーリーだ。
監督は、当時はまだ無名だったニコライ・エック(本名はユーリー・イワキン)。『人生案内』は1932年の第1回ヴェネツィア国際映画祭で監督賞を受賞、100か国以上で上映された。
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2. 『陽気な連中』1934年
ソ連初のミュージカル・コメディで、若きリュボーフィ・オルロワの出世作。「歌とともに人生を歩む者は、決して道に迷わない」という歌詞の一節は、今でもロシアで最も愛され続けているフレーズの1つだ。監督はグリゴリー・アレクサンドロフ。ジャズ・オーケストラの指揮者になった牧童のコースチャと、歌手になった家政婦のアンナの物語。コースチャ役は、ソ連を代表する有名歌手レオニード・ウチョーソフである。
3. 『チャパーエフ』1934年
ゲオルギー・ワシリエフとセルゲイ・ワシリエフが手がけた本作は、内戦の英雄ワシーリー・チャパーエフが主人公。1935年の第1回モスクワ映画祭でグランプリを受賞。ワシリエフ兄弟は、かつてチャパーエフの部下であったドミトリー・フルマノフの同名の小説を土台にした。
この映画は公的にも高く評価されたが、なにより観衆の絶大な支持を得た。
4. 『サーカス』1936年
リュボーフィ・オルロワ主演のミュージカル映画。黒人の子を産んだアメリカのサーカス団員がモスクワに赴き、安住の地と幸福と愛を勝ち取るストーリー。主題歌『広大なる我が祖国』は後に全ソ連ラジオ放送のオープニングにも使用され、ソ連崩壊後には新生ロシアの国歌の候補にも挙がった。
5. 『うぐいす(グルーニャ・コルナコワ)』1936年
ニコライ・エックは初のトーキーだけでなく、初のカラー映画の撮影にも挑んだ。ストーリーは、革命前の陶磁器工場に勤めるヒロインのグルーニャ・コルナコワが、権利獲得のために人々を率いて立ち上がる、というもの。
カラー技術を開発したのは、映画カメラマンのフョードル・プロヴォロフ。撮影は2種類のフィルム(赤いフィルムと青緑のフィルム)で行われ、この2つのフィルムを組み合わせるのである。アメリカでもよく似た手法の調色技術が使われており、「シネカラー」と呼ばれた。
6. 『七人の勇者』1936年
セルゲイ・ゲラシモフ監督は、北極探検のコメディに挑んだ。『七人の勇者』は、志願したコムソモール員が北極制覇に挑むストーリーだ。6人が探検隊員として選抜されたが、なんと現地で貨物の中に「無賃乗車」が発覚…どうしても北極に行きたかった志願者が潜り込んでいたのだ。
7. 『ピョートル1世』1937~1938年
18世紀ロシア史を扱った2部作。ヴラジーミル・ペトロフ監督作品。ロシア帝国の勃興を描く3時間強の本作は、アレクセイ・トルストイの同名小説を基にしている。宮廷に渦巻く陰謀、大規模な改革、シベリアと極東の開発といった数十年間の出来事を描く。
歴史学者からは史実との多少の乖離が指摘されたが、劇映画なので致し方ない。現在に至るまで本作は高い評価を得ている。
8. 『アレクサンドル・ネフスキー』1938年
ソ連映画の父、セルゲイ・エイゼンシュテインの色褪せぬ名作。1242年、ロシアの大公が率いる軍勢はチュド湖の戦いで十字軍に勝利する。本作は、侵略者との闘争がメインテーマだ。
映画界の一部からは、本作の史実との乖離と過剰な「豪華さ」を批判する声も挙がった。作品自体は、特に合戦シーンで大勢のエキストラを駆使した大作に仕上がった。音楽を担当したのは、作曲家セルゲイ・プロコフィエフである。
本作は国の指導部からも好評を得て、観客からも支持された。現在でも、映画史に残る傑作ランキングで上位の常連である。
9. 『ヴォルガ=ヴォルガ』1938年
本作のタイトルは、監督のグリゴリー・アレクサンドロフが訪米中に親交を結んだチャーリー・チャップリンのアイディアである。リュボーフィ・オルロワ主演のミュージカル・コメディで、演芸コンクール出場のためモスクワに向かう役者たちの物語。そうした道中の愉快な(時に不愉快な)椿事が描かれる。
本作は若者の行事参加を賛美し、卒業したばかりの若者にある種の規範を示す役割を担ったといえる。スターリンの最も好きな作品の1つともされる。
10. 『Foundling』1939年
ファイナ・ラネフスカヤは現在に至るまで、最も引用される事が多い女優の1人だ。そのひとつ、「ムーリャ、私をイラっとさせないで!」は、タチヤナ・ルカシェヴィチ監督の傑作コメディ『Foundling』のセリフだ。
モスクワで迷子になった女の子を、彼女を保護したムーリャとリャリャの夫婦が養子にしようとするストーリー。1930年代のモスクワの風景が見られる貴重な作品でもある。