フョードル・アレクセーエフは思いがけない方向からクレムリンを描いた。1814年まで、クレムリンには城壁に沿って防御のための堀が巡らされていたが、後に堀は埋められ、並木道が造られた。
商人の屋台や露店が並び、賑わいを見せる広場が描かれている。スパスカヤ塔に設けられたクレムリン内部へ通じる同名の門もまだ普段の通行に使用されていた。
モシコフはかつてのクレムリン内部をわたしたちに見せてくれる。中央にはクレムリンの主門であるスパスキエ門、その左にはソ連時代に失われたヴォズネセンスキー修道院がある。
海洋画家アイヴァゾフスキーとしては意外な一枚であろうこの風景画で彼が描いたのは、「水」ではない別の自然の猛威、「火」だ。ナポレオン戦争時に起きたモスクワ史上最大の火事を背景にクレムリンの輪郭が浮き立つ。(「誰がモスクワワを焼いたのか」についてはこちら)
サヴラソフの作品には一貫して「ロシア的哀愁」とでも言うべきものが漂っている。彼の描く自然はいつも物悲しく枯れているが、それでいて非常に写実的だ。この作品では、クレムリンさえも古びた垣根越しに描き出した。だが、その春の陽射しは見る者の心を軽くする。
この絵の構成上の中心はクレムリンであり、その他のものはデッサンのように簡潔な線で描かれている。ロシアの代表的な「光の画家」としてクインジは、光と影に自在に遊びつつ、よく晴れた日の明暗を見事に表現した。
クインジのもう一つの作品は、クレムリンを別の側から描いている。先に紹介した一枚同様、最も重要なのはクレムリンではなく、光と影が織りなすその表情だ。
建築的な風景とは、モスクワの建物とモスクワ的表象の「万華鏡」のようなものだ。画家自身の言葉によれば、彼はこの「斑模様」と「装飾的で華やかな美」をイワン大帝の鐘楼を中心点として周囲に配置した。その赤く塗られた筆の動きの中に、クレムリンの城壁とあざやかな聖ワシリイ大聖堂が見て取れる。
アヴァンギャルド画家カンディンスキーにとって、クレムリンは仕事場の窓から「直接」見えるものだった。キャンバス上に、教会や家や工場の煙突によるモスクワのフルオーケストラが描かれている。
風俗画を愛したクストーディエフは、かつてそれが何世紀にもわたってそうだったように、赤の広場を市の立つ場として描いた。復活大祭前の気忙しさの中、商人やギムナジウムの生徒、毛皮を着た貴族などを見ることができる。また、「ハレ」の日の美しい聖ワシリイ大聖堂とスパスカヤ塔の一部もその姿を見せている。
陽の光に輝くクレムリン大聖堂群の黄金のキューポラ(丸屋根、ドーム)は、古きモスクワにおける絵のように美しい光景の一つだ。
歴史風景画を得意としたヴァスネツォフによる中世の白い石造りのクレムリン。
この水彩画では光の線によって祝砲が表現されている。勝利の喜びと、待ちわびたこの日を祝うために赤の広場に集まる人々。
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