クマの崇拝は、かつてザバイカル地方とプリアムーリエで一般的であった一種の文化現象である。この文化は今でも、伝統的な生活習慣を守っている少数民族の間でも目にすることができる。
シベリアには、エヴェンキ、ハンティ、マンシ、ニヴフ、ウリチなど、多くの先住民族が暮らしている。いくつかの民族は、今でも、それぞれの民族に動物の祖先がいると信じている。そしてその動物は、生を与えてくれただけでなく、人生を通じて、共に生きていると考えられている。概して、そうして崇拝されているのは、その地域に生息している動物で、人々は、さまざまな状況において、その動物のおかげで「生き抜く」ことができていると考えている。そんな動物の一つがクマである。いくつかの小集団の中で今も守られている伝統の中に、クマへの崇拝に関係するものがたくさんある。
ニヴフ人の定期的なクマの祭り、サハリン州、1970年
Chernysh/Sputnikたとえば、東シベリアの先住民族であるエヴェンキ人の一部の間で、クマは「アミカン」(おじいさん)、「アマクチ」(ひいおじいさん)、「アミ」(お父さん)など、家族の呼び名で呼ばれている。エヴェンキ人の主な営みは狩猟で、冬になると人々は村を離れ、遠く離れたタイガに向かう。クマは聖なるものとされているが、それでも、効能を持つ価値ある脂肪が取れるクマは、彼らの標的の一つとなる。
エヴェンキ人の間で、1人の狩猟者が捕獲できるクマの数は限られており、その数を超えた場合にはあの世からの罰を受け、自分自身で命を絶つ。そこで、動物を殺すプロセスは、儀式的な様相を呈している。狩猟者は動物に謝罪し、なぜ狩りを始めたのか説明する。肉は埋めることもあれば、食べることもある。クマ狩りの後、一種の埋葬のようなものを執り行う。クマが殺されるまでに歩いていた方向にある特別な木の箱に骨と頭部を入れるのである。エヴェンキ人は、そうすることで、殺された動物の魂が彷徨うことはないと信じているという。
そしてその後、「タカミン」(クマを騙すという意味)と呼ばれる儀式を行う。狩猟に参加した全員が、殺したクマの肉を分けて食べ、クマを殺した狩猟者の幸運と健康、トナカイ猟の成功を祈る。そして狩猟者は最後にクマの肉を食べ、自身の移動式住居にきれいに切りとった動物の目を吊るす。
ブリャート人の狩猟者、1973年
V.Belokolodov/Sputnik一方、ブリャート人の間でもクマは崇拝されている。エヴェンキ人と同様、ブリャート人もまたクマを「家族の一員」と捉え、「ババガイ」、つまり高齢の親戚に対する呼称で呼ぶ。ブリャートのフォークロアには、クマのルーツに関する神話が2つある。1つは、狩猟者が自ら、周りの人々の嫉妬と悪意から、クマに姿を変えたというもの。2つ目は、人間のよくない態度―貪欲さ、残忍さ、嘲など―のためにクマに変えられたというものである。シャーマニズムとトーテミズムの融合により、ブリャート人には、クマも誰よりも強いシャーマンだという信仰が生まれた。
エヴェンキ人の狩猟者、1912年
Kunstkamera/Russia in photoクマの崇拝がもっともよく表れているのが、クマのお祭りである。それぞれの民族にそのルーツに関する伝説がある。たとえば、エヴェンキ人の場合は次のような説である。森に行った若い女性がクマの巣穴に入り込んでしまい、そこで冬を越した。春になり、家に帰った後、女性は子熊を産み、息子のように可愛がった。しばらくして、結婚した女性は、男の子を産んだが、その後、兄弟が大きくなり、力くらべをしたところ、男の子がクマを殺してしまった。そのとき、クマは息絶え絶えに、弟に、クマを狩るにはどうすべきか、そしてどのように埋葬すべきかを伝えた・・・。
伝説はさまざまであるが、どの説にも共通しているのは、クマはある人を選んで、その狩猟の聖なる意味、そして仲間である動物に対する正しい態度について伝えたということである。
アイヌのクマの祭り
Bronislav Pilsudsky/Public Domainいくつかの民族のお祭りは、クマの狩猟がうまくいった際に行われるが、1月か2月に定期的に行われているところもある。クマの狩猟に合わせて行われる場合、重要なイベントとなるのは食事である。殺したクマの肉は、夜中に、祭りの最初から最後まで食べる。しかも、狩猟者の親戚の1人がクマの力、知恵、習慣を身につけるため、生肉を食べた。食事の間に輪舞を踊り、歌をうたい、ゲームをした。
アイヌのクマの祭り
Bronislav Pilsudsky/Public Domain一方、定期的に行われるお祭りの方は、狩猟とはまったく関係がない。ときに、祭りは、亡くなって、その魂がクマに乗り移ったとされるある家族のための追悼式のような形で行われたり、部族で感謝を伝え、魂をなだめる儀式的な形式のこともあった。
森で子熊を見つけてきて、3年間、檻で飼い、主婦は小さな子熊に乳をやったりし、息子と名付けた。その3年の間、主人は家の精霊にワインを捧げ、2度と閉じ込めたりしないと言って謝罪した。その後、客人とともに、檻に近づき、ご馳走を与え、檻から出して、家々をまわった。各家の主婦たちもクマにご馳走を与え、家に幸福をもたらしてくれるよう祈った。
その後、特別に用意された場所で、クマを殺し、清め、頭部と皮は煙突から家の中に運んだ。下拵えをした後、夕食を始める。煮たクマ肉を、クマの絵がついたおたまで鍋からすくって、特別な木の器に入れて食べた。食事の後、骨を集め、主婦たちにプレゼントと一緒に配った。祭りの終わりの前には、長老たちがクマの頭蓋骨と共に朝まで座り、クマの頭と会話をした。
カムチャツカ、1999年
Eric CHRETIEN/Gamma-Rapho via Getty Imagesロシア・ビヨンドのニュースレター
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