元官吏(六等官)のパーヴェル・チチコフは、一見ごく普通の、目立たない男だ。彼は、未知の地方都市にやって来て、地主になりすましている。地元の地主たちを訪ねては、彼は、何とも奇妙なことを申し出る。すでに亡くなった農奴(ロシア語で「ドゥシャー」で、この語は「魂」も意味する)を買い取ると言うのだ…。
19世紀には、農奴制が廃止される前は、定期的に農奴も対象とした国勢調査があった。 しかし、農奴が国勢調査の狭間に死んだ場合、次の調査までは、まだ生きているとみなされて、地主は人頭税を払わなければならなかった。だから、チチコフが「死んだ農奴(魂)」を所有したがっていることは理屈に合わない。
彼がそれを欲しがっているのは、生きた人間が必要なのではないからだ。彼は、自分が大地主で社会的地位が高いように見せかけるため、一定数の農奴を所有しなければならない(チチコフの計画は、死んだ農奴を生きたものとして担保にし、銀行から大金を引き出すことだ)。
物語の大半は、地主から地主へのチチコフの遍歴だ。彼らは、その領地と同様に、多種多様だ(しかし、いずれも真のロシア的性格を映し出している)。チチコフの提案への反応も十人十色だ。驚く者もいれば、平然たる者もおり、交渉して「死んだ農奴」にもっと高い値段を吹っかけようとする者さえいる!
ついにチチコフは「死んだ農奴」を買い漁り、地方都市の貴族たちは、彼が百万長者だと噂し始める。ご婦人方は、有望な独身者に色目を使い出す。が、蜃気楼のような成功は長続きしない…。結局、チチコフが死んだ農奴を買ったことが知れ渡り、人々は不安がり、チチコフについて以前より悪い噂を口にし始める。落胆したチチコフは街を去らざるを得ない。
小説の背景は?
この作品の初版の完全な題名は、『チチコフの遍歴または死せる魂』だ。作者が作品のジャンルを叙事詩と規定したので、『オデュッセイア』にしばしばなぞらえられる。主要な筋とともに作者は、非常に長い、いわゆる「抒情的逸脱」を行い、そこで、ロシア人とロシアについて語る。
最も有名な「逸脱」の一つは、三頭立ての馬橇「トロイカ」で疾走する醍醐味についての考察だ。それは、後に慣用句となった名文句から始まる。
「疾走するのを好まぬロシア人がいるだろうか?」。そして、彼は最後に次のような疑問を投げかける。「このようにお前も、ロシアよ、何ものにも追いこされぬ疾風のごときトロイカになって走り去ってゆくのではなかろうか?」
作者は、この「ロシア的な疾走」の意味を見定めようとするが、メタファーのままとどまっている。
ゴーゴリは、ダンテの『神曲』のように、長大な三部作を書くつもりだった。第一部が「地獄篇」、第二部が「煉獄篇」、第三部が「天国篇」だ。
しかしゴーゴリは、第一部、つまり既存の部分しか完成できなかった。そこには、ダンテの「地獄篇」と同様に、肯定的な人物や筋はない。第一部はすべて、罪悪と汚らしく惨めなロシアの現実、そして偽善的な人々について語る。
ゴーゴリは第二部(煉獄篇)を一通り書き上げはしたが、真に肯定的な人物をついに一人も描き出せなかった(と彼は思った)。ゴーゴリは自分の企図を果たせなかったことを嘆き、この第二部を暖炉に放り込んで焼いてしまった(今日まで残存するのはごくわずかな部分のみだ)。彼が亡くなったのはその9日後のことだ。