ロシアにおける集合住宅建築いろいろ:100年前と現在(写真特集)

Ludvig14 (CC BY-SA 3.0), krassotkin (CC BY-SA 3.0)
 ロシアの集合住宅はどのように変化してきたのだろうか?19世紀のホテルから現在の巨大な「複合住宅街」まで。

「シポフ要塞」

「シポフ要塞」、1910年代

 モスクワ中心部のルビャンカ広場に建つこの建物は、国家評議会〈上院〉の構成員のひとりであったセルゲイ・シポフが所有していた。ここには誰もが無料で住むことが許され、入居者の記録も残されなかったので、あらゆる類の犯罪者にとっては天国のようなところになった。1880年代になると、ここは帝国慈善協会の管理するものとなったが、1966年にはこの建物は最終的に解体された。

三位一体複合マンション・ビル

 この建物はもともと、至聖三者聖セルギイ大修道院の所有物であり、レストラン、店舗、家財倉庫、事務所などとして貸し出されていた。1879年、現在の建物が集合住宅用の建物として作られた。1905年まで、モスクワで最も高層の住居用建築物であった。 

トリニティ〈三位一体〉 教会の集合住宅 〈動物アパート〉

 19世紀末までに、モスクワでは裕福な地主たちによって多くの集合住宅ビルが建設されたが、正教会も例外ではなかった。この建物は、トリニティ教会が所有しており、部屋は賃貸用住宅として貸し出されていた。1908年に建設され、セルゲイ・ヴァシコフ作のロシアをテーマにした浅浮き彫りで飾られている。

ペルツォワ・ハウス

 1907年にモスクワに建てられたこのアパートはピョートル・ペルツォフという鉄道エンジニアによって発注された。彼はこの建物に妻ジナイーダの名を付けた。ロシア芸術熱心な愛好家であったこの建物の所有者は、画家、作家をはじめとする創造的な人々にここの部屋を安価で貸すものとして計画された。設計はセルゲイ・マリューチンに任されたが、彼は意図的に異なる大きさの窓をつけ、正面のデザインも非対称にした。この建物はモスクワのアートシーンにおいて人々が集う場所として誰もが知るところとなった。 

バシン・ハウス

 サンクトペテルブルクにあるこのアパートは1878年から1879年にかけて建設されたもので、ロシア・リバイバル様式建築の一例である。

ソロドヴニコフの低価格アパート

 このアパートビルは、ロシア人ビジネスマンであり慈善家でもあるガヴリイル・ソロドヴニコフによって発注され、1907年から1909年にかけて建設された。このアパートは低所得者のためのもので、労働者の賃金が1日1.5ルーブルのところ、1週間の家賃は1.25ルーブルに設定された。

「ウサチョフカ」複合住宅

 ロシア構成主義建築様式で1920年代後半に建設されたこのモスクワの複合住宅には、労働者階級向けに2部屋のアパートと3部屋のアパートが用意された。1920年代にロシアの都市化と工業化が急激に進む中、安くてコンパクトな都市住宅の建設が喫緊の課題だったのである。 

ナルコムフィン・ビル

 ノヴィンスキー並木道25番地に建てられたナルコムフィン・ビルは、構成主義かつアヴァンギャルド建築の有名な一例である。1928年から1930年にかけて建設されたこの建物は財務人民員会(ナルコムフィン)の高級官僚のために作られた。ここには立方体形の「ユニット」が54個用意され、アパートとして使用された。2020年ごろに、この建物の改修工事が完了した。

河岸上のマンション

 1931年に建設された、9階建てから11階建ての8棟の建物からなるマンションには505戸の住居と25個所の入り口がつくられている。このマンションは、クレムリンの近くに住む必要がある共産党のエリート幹部向けに建設された。これは、構成主義の時代の考えに沿って設計されており、あらゆる必要な施設やサービス-クリーニング店、診療所、郵便局、保育所や幼稚園、図書館、トレーニングジム、テニスコート、百貨店などが一つの建物の中に用意されているものであった。食堂、クラブ、映画館もこの施設の中に作られた。しかし、スターリンの弾圧の期間には、多くの高位の入居者が強制収容所に送られた。今でもここは、エリート階級のためのモスクワで最も高級なマンションの一つである。

コテリニチェスカヤ堤防ビル

 「7姉妹」のひとつであるこの建物は、ドミトリー・チェチュリンの設計で1952年に建設された。レジデンシャル・ビルとして当初は540戸の住居がつくられ、セントラル・エアコンディショニング設備、セントラル・掃除機システムをはじめ他の便利の設備が用意されていた。このスターリン建築の高層住宅には共産党のエリートや、多くのソ連の芸術家、映画スターが入居していた。

「1-515/5」アパート 典型的なパネルハウス

 1950年代に開発されたこの種の建物は大部分のロシア都市部居住者の家となった。この5階建てのアパートは、1部屋〜3部屋からなり天井の高さは2.48㍍しかなかった。エレベーターはなく、階段で昇り降りするしかなかった。 

「II-57」アパート

 この「II-57」アパートは、特にモスクワ州において1960年代に建設された。9階建てもしくは12階建ての2種類あって、天井の高さは2.64㍍であった。

「II-68」アパート

 この建物は1970年から2000年にかけて建設された、ロシアでもっとも広く見ることが出来る集合住宅のひとつ。一般に16階建てで、クリーダイト―コンクリート製のパネルで作られている。

「飛行士」の家

 ベゴヴァヤ通り34番地に立つこの建物は、「脚のある家」とも言われている。建築家ル・コルビュジエの設計にヒントを得たこのアパートは13階建てで299戸の家族が入居できる。この建築物の特徴は、40本ものコンクリート製支柱―「脚」が1階部を4階の高さまで持ち上げて支えていることである。これは、大交通量のベゴヴァヤ通りから出る排気ガスがアパートの敷地に滞留するのを防ぐためであった。この建物は建築家アンドレイ・メールセンの設計により、1980年のモスクワ・オリンピックに向けてのホテルとして1978年に建設されたが、結局は航空機工場の従業員アパートとして使われることになった。そのため、「飛行士」の家と呼ばれるようになった。

「アエロバス」集合住宅コンプレックス

 モスクワ北部に2008年に建設された32階建てのこのマンションは、幼稚園、スパ、クリーニング店、レストランを併せ持つ近代的「複合住宅街」の一例である。 

モスフィルモフスカヤ通りの家(モスフィルム・タワー)

 2011年に建設されたこのモスフィルム・タワーは、2棟のタワーからなるレジデンシャル・コンプレックスである。一つのタワーの高さは213㍍(54階建)でもうひとつは131㍍(34階建)である。可能入居戸数は合わせて565戸で、この建物は住居用ハイテク建築物の代表例となっている。

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