レフ・トルストイの『戦争と平和』のサマリー:「読んでません…」とは言いにくいこともある

Legion Media, 光文社, 2020
 全4 巻の大長編小説は、大抵の読者にとって読破するのは容易なことではない。とはいえ、教養のあるふりをするためには、ストーリーを知っておくことが大事だ。

この小説は全体として何の話?

 『戦争と平和』は、壮大な歴史絵巻で、いくつかの家族と数百人の登場人物、およびその生活を生き生きと物語る。主な歴史的背景は、ロシアとナポレオン治下のフランスとの戦争だ。

 トルストイは、この小説を6回ほど書き直した(彼の妻は、毎回手書きで清書しなければならなかった)、そして彼は、いわゆる両首都、モスクワとサンクトペテルブルク、貴族社会と農民、そしてもちろん戦争と平和の時期の両方を示すことができた。

 ロシアでは、よくこう笑ったものだ。女子生徒は大抵、「戦争」のページを飛ばして、「平和」のページだけ読むが、男子は対照的に、ヒロイン、ナターシャ・ロストワの感情などよりも戦闘シーンの描写を好むと。

作者は何を言いたいのか?

 これは、ロシアの学校の生徒が文学の勉強でしばしば答えなければならない質問だ。研究者たちは、ロシアのこの古典的名作について学術的な見解を示しているので、登場人物のなかで誰が「悪く」誰が「良い」のか、作者は、描く対象にどんな態度をとっているのか、はっきり知っている必要がある。

 全体としてトルストイは、歴史的大事件が一般人の生活にどう影響するか、激動する状況のなかでどれだけ変化するか、悪しき世論が運命をどう左右するかを示したかった。さらに、トルストイは、ナポレオンとロシア皇帝アレクサンドル 1 世を登場させ、彼らの心理的ポートレートを、他の登場人物の内面の考えや感情と同様に描写しようとする。

 だから、トルストイが描いた事柄のスケールは、まさにこの書物の分量と同じく実に巨大だ。彼は、民衆の偉業についての叙事詩を生み出したが(ただし散文で)、これは比較的若いロシア文学には欠けていたものだった。

 作者は、少女ナターシャも、アンドレイの父である不機嫌そうなボルコンスキー老公爵も、それぞれの立場から同じように自然に描写する。もちろん、短い要約では、数十人におよぶ主要登場人物のすべてに触れることはできない。彼らは、トルストイがそのイメージと心理の細部に至るまで、愛情を込めて細心の配慮のもとに創造したものだ。しかし、最低限知っておくべき重要な筋と場面を以下に示そう。

超短いサマリー

 ナターシャ・ロストワは、天真爛漫な少女として登場し、結局、結婚と子供に幸せを見出す。彼女の両親は、贅沢三昧の暮らしで、借金に苦しんだ。ナターシャの最初の婚約者は、ロシアとナポレオン治下のフランスとの戦争で亡くなった。

第1

 小説は1805年、皇太后の女官、アンナ・シェーレルの邸宅での夜会の場面から始まる。サンクトペテルブルクの上流社会は、ナポレオンの脅威について議論しており、ナポレオンをアンチキリストと呼びさえしている。ここで読者は、2人の重要な人物に出会う。

 一人は、アンドレイ・ボルコンスキー公爵で、妊娠中の妻がいるにもかかわらず、偉大な軍事的栄光を求めて戦場に出発しようとしている。もう1人は、間もなく莫大な遺産を受け取ることになる、伯爵の庶子ピエール・ベズーホフだ(批評家は、ピエールをトルストイ自身の「声」としばしばみなす)。彼は、極めて富裕な伯爵となったため、引く手あまたの花婿候補となり、結局、上流社会の絶世の美女「ファム・ファタール」、エレン(エレーヌ)・クラーギナと結婚する成り行きとなる。

 それから、小説の舞台はモスクワに移り、ロストフ伯爵家の主人とその子供たちが登場する。そのうちの1人は、溌溂とした美少女、ナターシャ・ロストワだ。

 第1巻の最後に、読者はヨーロッパの戦場に連れて行かれる。ロシア軍は、シェングラーベンで戦い、さらにアウステルリッツの会戦に参加する。

 アンドレイ・ボルコンスキーは、彼が期待していた戦争の栄光などまったく見いだせず、2度目の実戦で重傷を負う。この巻は次の場面で終わる。ナポレオンは戦勝後、アウステルリッツの戦場を視察し、アンドレイが死体の中に横たわっているがまだ生きていることに気づき、彼と他の負傷者の手当てをするように命じる。 

第2

 アンドレイの家族は、彼の生死について知らないが、彼は妻が出産した夜に戻ってくる(彼女は陣痛中に死亡する)。

 ピエールは、自分の美しい妻が不倫していることに気づく(彼女にはたぶん多くの愛人がいる)。彼は、妻の愛人(勇敢な将校)に決闘を挑み、負傷させる。

 ピエールは、妻と別居し、フリーメーソンのロッジに入る。

 アンドレイは悲嘆にくれ、軍隊を退役し、家族の世話と領地の経営で気分を紛らわせているが、あるとき、ロストフ伯爵に会う用事ができる。ここで重要な場面となる。

 アンドレイが彼の邸宅に滞在しているとき、夜、偶然ナターシャ・ロストワの会話を耳にする。彼女は、生きる喜びに満ちているようだった。突然、彼は、人生が自分に背を向けていたと感じる。

 間もなくアンドレイは、ナターシャに求婚し、彼女は受け入れるが、彼は、父の要求で、結婚の前に1年間の猶予期間を置かざるを得なくなる。アンドレイは、その間にヨーロッパを旅行するつもりだと言う。

 アンドレイの長い不在に苦しむ若いナターシャは、パーティーでハンサムなアナトール・クラーギン(ピエールの妻エレーヌの兄)に出会う…。彼は彼女を口説き、ついに彼女に、こっそり家を抜け出して、自分と結婚してほしいと言う。彼女も同意し、アンドレイに結婚を断る手紙も書くが、駆け落ちは、結局、実現しない(彼女の周辺がナターシャの企てを知り、彼女を止める。実は、アナトールにはすでに妻がいた)。彼女は自殺を図るが一命をとりとめる。

 ナターシャとアンドレイが別れた後、ピエールは、少女に会い、涙ながらに、今やアイコニックになった愛の言葉を語る。

 「もし私がこんな男ではなくて、世界で最も美しく、最も賢く、最もすばらしい男で、もし私が自由だったら、今すぐひざまずいて、あなたの愛と手を求めていたでしょう」

第3

 1812 年の祖国戦争(ナポレオンのロシア遠征)が始まり、ナポレオンはロシアに侵攻する。アンドレイは軍に復帰することを決め、連隊全体に愛されている。ロシア軍総司令官のクトゥーゾフは、自分の幕僚として勤務するように求めたが、アンドレイは辞退し、実戦部隊での勤務を望む。ボロジノの会戦で、重傷を負い、包帯所に運ばれた彼は、隣に、足を失ったアナトールが横たわっているのに気づく…。驚くべきことに、アンドレイは、憎むべき敵のはずの、この哀れな男に怒りを感じない。

 一方、ピエールも、ボロジノの会戦の前日、戦場に赴き、彼の敵だった、妻エレーヌの元愛人に遭遇する。彼はピエールに許しを請う。国難に直面して、ロシア国民は団結し、ささいな侮辱は水に流したようだった。

 ボロジノの大会戦は極めて重要な場面だ。作者は、ナポレオン軍が実は「精神的に」敗北したと言う。それは何よりも、ロシア人が母国のために戦っているのに、フランス軍は侵略者だという道徳的上の理由からだ。

 しかし、フランス軍は、モスクワへの進撃を続けていた。モスクワ市民は、急いで避難しなければならない…。ロストフ家も北に向かうが、その途中、負傷したアンドレイに会う。そしてナターシャは献身的に彼の世話をする。

 一方、ピエールはモスクワを離れないことに決める。そして、自分の使命はナポレオンを殺すことだと考える!…だが彼は、フランス軍に捕らえられる。 

第4

 第 1 巻と同じように、読者は、サンクトペテルブルクの女官アンナ・シェーレル宅の上流社会のパーティーに立ち会う。しかし今や、ナポレオンについての話は、もはや抽象的でも哲学的でもない。貴族たちは、ロシア軍が撤退した後、モスクワで起きた大火に関するニュースを読む。結局、疲弊したナポレオン軍は、ロシアから撤退し、クトゥーゾフの軍隊は彼らを執拗に追撃していく。

 その後、アンドレイは亡くなり、ナターシャはこの喪失に完全に打ちのめされる。さらに、弟のペーチャも戦死したという知らせを受ける。

 フランス人に捕らえられたピエールは、捕虜として護送されていく。しかし、ロシアの国境近くで、パルチザン部隊が、フランス軍からロシア人捕虜たちを奪還する。そして、ピエールも解放される。

 彼はナターシャと結婚することを考えている…そして、ナターシャのほうも、彼への思いを自覚する。

エピローグ

 ピエールとナターシャは、戦後の 1813 年に結婚し、4 人の子供をもうける。ナターシャは、結婚と子供に完全な幸福を見出す(トルストイは、女性の役割と使命をこのように認識している)。

 一方、ナターシャの兄は、アンドレイ・ボルコンスキーの妹と結婚する。彼らは皆、希望、新しい人生、そしてもちろん政治について話し合って時間を過ごす。

 そして、トルストイは歴史について熟考する…。

 「1812年目から7年が経った。ヨーロッパの荒れ騒いだ歴史の海の波は、その岸辺におさまった。海は、一見、静まったかに思われた。しかし、人類を動かす神秘的な力(その力の動きを支配する法則は我々には知られていないので神秘的だ)は、働き続けた」

 ピエールは、秘密結社に参加したようで、当局を批判し、大きな変化を望んでいる。この結末は、別の小説の始まりかもしれない。それは、トルストイが『戦争と平和』よりも前から心に留め、書きたかったものであり、デカブリストについての小説だ。デカブリストは貴族たちで、1825年にサンクトペテルブルクで、共和制あるいは立憲君主制を目指して反乱を起こした。

 しかし、このテーマを調べていったところ、そのルーツは 1812 年の祖国戦争にあることが分かった。そこで彼は、まずこの戦争について小説を書いた。デカブリストについての小説も書き始めたが、3章を終えた後、彼が常に探し求めていた「人類共通の関心」を見出せなかったため、このアイデアをあきらめた。

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