「フォルトゥナ号」と名付けられたこのボートは、ピョートル大帝(1世〈1672~1725年〉)の最初の「艦隊」から完全な形で残った唯一のボートだ。この「艦隊」は、ロシアのプレシチェーヴォ湖を「拠点」としていた。当時、若きツァーリは、いわゆる「遊戯連隊」を創って、最初は戦争ごっこに、後には本格的な演習に夢中になっていた。
このボートは、5組のオールを備え、マストを固定する場所もある。ボートの良好な保存状態と入念なケアを見ると、ピョートル自身がこれを造ったと推測できる。彼は、青年時代に造船の基礎を学んでいる。
サンクトペテルブルクの博物館には、ピョートルの手になる、船の未完成の模型も保存されており、彼の技能のほどが見てとれる。
1720年、ペトロザヴォーツクの金属加工工場を訪れたときに、ピョートルは、鍛冶仕事をやっている。この鉄片を材料から切り取り、印を押した。
その2年後、リャザン県(現在はリャザン州)のイースチエで、皇帝は、再び鋳造所で自ら働いて見せた。彼の同時代人、ピョートル・ミーレルはこう回想している。
「彼は、自分の手で鉄を溶かして鍛え、鉄板に引き伸ばした。この作業をマスターした彼は、滞在の最後の頃、15ポンドの鉄を引き伸ばし、それぞれの鉄板に印を押した。彼の着飾った従者と大貴族は、石炭を運び、点火し、ふいごで煽るなどした」
これは、ピョートル大帝が鍛造した鉄板の1つで、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に保管されている。
旋盤は、若きピョートルが外国に注文した最初の外国製機械の1つだ。モスクワで彼は、少年時代から、さまざまな工芸品の作り方を身に付けた。
その後、サンクトペテルブルクでピョートルは、宮殿の住まいのすぐ横に、旋盤工房を設えた。その工房でいろんなものを作る彼の姿がよく見かけられた。
そのうちの1つが、ピョートル自身が手がけた27本のキャンドル付きシャンデリアだ。最近、エルミタージュ美術館に復元された。
モスクワのクレムリン博物館には、ピョートル大帝自身が作ったとされるブーツが保管されている。
経験を積んだ旋盤工だったピョートルだが、もちろん、シンプルな家具も作れた。モスクワのコローメンスコエ国立博物館に展示されているこの椅子は、皇帝の手になるものだ。
ピョートルとその「弟子たち」は、彼の工房で、古典的な「教育用」オブジェも作った。カレリアの白樺で作られたこの木製カップもそうで、象牙の装飾が施されている。
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