20世紀初頭、画家のワシリー・ペレプレチコフは、「北方は厳しく、愉快ではないが、わたしを惹きつけてやまない。わたしは再び北氷洋に向かう。大きく、強い人々の元へ」と書いた。
ロシア北方とは、北氷洋沿岸とアルハンゲリスク州の未踏の森からほぼサンクトペテルブルクまで広がっている。サンクトペテルブルクは、地理的にはロシア北方とは見做されていない。おそらく、西欧的な雰囲気が強いせいであろう。
ほぼ人のいないこの土地には、世界の喧騒から逃れようと修道士らがやってきた。また、北方のアルハンゲリスク港には、長い間、ヨーロッパに輸送するため、ロシア中から材木、蝋、毛皮などが運ばれていた。サンクトペテルブルクが創設され、北方戦争(スウェーデンとの戦い)の結果として、18世紀前半にリガとレーバル(=タリン)が併合された後になって、さまざまな製品はバルト海に送られるようになった。
イワン・シーシキン、『野生の北方で』、1890年
イワン・シーシキン/キエフ美術館レフ・ラゴリオ、『北の景色』、1872年
レフ・ラゴリオ/I.P. ポジャロスティン記念リャザン国立美術館イサアク・レヴィタン、『北方にて』、1896年
イサアク・レヴィタンアルヒープ・クインジ、『ラドガ湖』、1873年
アルヒープ・クインジ/ロシア美術館コンスタンチン・コロヴィン、『北方にて』、1899年
コンスタンチン・コロヴィンアルヒープ・クインジ、『北方』、1879年
アルヒープ・クインジ/トレチャコフ美術館コンスタンチン・コロヴィン、『ムールマンスクの岸』、1894年
コンスタンチン・コロヴィンアルヒープ・クインジ、『ヴァルラーム島にて』、1873年
アルヒープ・クインジ/トレチャコフ美術館ミハイル・ネステロフ、『ソロフキ』、1917年
ミハイル・ネステロフコンスタンチン・コロヴィン、『ドヴィナのアルハンゲリスキー港』、1894年
コンスタンチン・コロヴィンワシリー・ヴェレシャーギン、『プチュガにある木造のピョートルとパヴェル教会の内部』、1894年
ワシリー・ヴェレシャーギン/ロシア美術館コンスタンチン・コロヴィン、『ペチェンガの聖トリフォン小川』、1894年
コンスタンチン・コロヴィン/トレチャコフ美術館ワレンチン・セロフ、『アルハンゲリスクの漁船』、1894年
ワレンチン・セロフアポリナリー・ヴァスネツォフ、『キリル・ベロゼルスキー修道院』、1915年
アポリナリー・ヴァスネツォフコンスタンチン・コロヴィン、『アルハンゲリスク』、1897年
コンスタンチン・コロヴィンミハイル・ネステロフ、『沈黙』、1903年
ミハイル・ネステロフ/トレチャコフ美術館イワン・シーシキン、『ヴァルラームの松』、1858年
イワン・シーシキン/ペルミ国立美術館コンスタンチン・コロヴィン、『北方ロシアの村』、1890年半ば
コンスタンチン・コロヴィンワシリー・ヴェレシャーギン、『北ドヴィナ』、1894年
ワシリー・ヴェレシャーギンワシリー・ヴェレシャーギン、『ヴォログダ県プチュガのペトロパヴロフスカヤ教会の食堂の木彫りの柱』、1894年
ワシリー・ヴェレシャーギン/トレチャコフ美術館アポリナリー・ヴァスネツォフ、『北方の地』、1899年
アポリナリー・ヴァスネツォフ/ロシア美術館ミハイル・ネステロフ、『子ギツネ』、1914年
ミハイル・ネステロフ/トレチャコフ美術館ニコライ・レーリフ、『ポメレリア族、朝』、1906年
ニコライ・レーリフ/ゴルロフスキー国立美術館アポリナリー・ヴァスネツォフ、『ヴァルダイスキー修道院』、1901年
アポリナリー・ヴァスネツォフワシリー・ペレプレチコフ、『ヴォングダ川沿いのポログ村』、1911年
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