現代ロシアの源流をなす中世国家、キエフ・ルーシは、988年に、キエフ大公、ウラジーミル1世によりキリスト教化された。大公自ら洗礼を受け、民衆にも集団洗礼を施した。彼はキリスト教の聖人であり、その祭日は7月28日で、この出来事を記念している。2023年のこの日、ロシア正教徒は、1035年前のキリスト教導入を祝った。
この事件から間もない1054年に、東西教会の分裂が起きている。すなわち、キリスト教教会が、ローマ教皇を頂点とする西方教会(カトリック教会)と、東方教会(正教会)に分裂した。
時とともに、2つの教会は、洗礼を含め、機密(秘跡)を異なる形で行うようになった。カトリックと正教会の洗礼の主な違いは次の通りだ。
洗礼は、キリスト教の最も重要な機密(秘跡)である。それにより、他のすべての機密をも受けられるようになるからだ(とくに聖体拝領)。
正教会では、洗礼を幼児(ふつうは生後8日以上)にも行うことができる。この場合は、両親と「代父母」がキリスト教信仰の精神において子供を育てる責任をもつ。なお、幼児はまだ聖体拝領を自ら受けることができないので、両親が代わって「子供のために」受ける。
洗礼を受ける子供が7歳未満の場合は、正教会では、両親の同意のみが必要となる。
7歳~14歳の子供の場合は、両親と子供自身の同意が必要。14歳以後になると、誰でも自分で決めることができる。
一方、カトリックにおいては、自由意志が最高に重視されるから、人は意識的にキリスト教を選ばなければならない。
だから通常は、洗礼は7歳~12歳の間に行うことが推奨される。自ら洗礼を受けることを決めるためだ。しかし、たいていの国では、ごく幼い年齢でも洗礼が施されている。
洗礼にはだいたいいつも水を用いる(稀な例外はある。4世紀にシリアで編集された教会法令集『使徒カノン』によれば、死に瀕した人がキリスト教に入信することを望むとき、砂で洗礼を施すことさえできる)。
正教の伝統的洗礼では、聖水を満たした水槽(洗礼盤)に、父と子と聖神(聖霊)の名において三度沈める。
三度水中に沈めることはまた、キリストの死と再生をも象徴している。
このように全身を水に沈める洗礼(浸礼)以外に、灌水礼(頭に水を注ぐ)と滴礼(手を濡らして頭に押し付けて水に沈める動作をなぞる)もあるが、例外として認められるに過ぎない。
逆に、カトリック教会では、灌水礼と滴礼(いずれの場合も三度行う)は、一般的になっているが、最近は浸礼も広まりつつある。
ロシア正教会を含む東方教会では、傅膏(カトリックの堅信に相当)は、洗礼のすぐ後で行わなければならない機密だ。
傅膏(ふこう)と呼ばれるわけは、聖別された油「聖膏」を塗るから。聖膏は、オリーブ油をさまざまな芳香のある植物と混ぜたもの。かつて使徒が、新たに洗礼を受けた者の上に手をのせ祝福した故事を象徴する。
カトリックも正教会と同じく、「堅信」が洗礼に始まるプロセスを固め、聖体拝領(聖餐)に導く。堅信を受けなければ、聖餐にあずかることは許されない。
カトリックでは、洗礼の後でも堅信は行われるが、完全に「有効」とはみなされない。「真の」堅信は、自分の信仰を意識的に選んだと考えられる13〜14歳の子供たちに行われる。
堅信は、司教の位階にある者のみが行う。
洗礼の他の部分は、カトリックと正教のいずれの伝統においてもほぼ同じだ。ニカイア信条を読み、悪魔祓いをし(洗礼の前)、洗礼の後に白い衣を着て、ろうそくを灯すなど。
しかし、正教会では、洗礼受けた人の髪の毛の一部が切り取られる。これは、受洗した人の信仰の印で、神への服従を意味する。
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