トリ・ポトカ村の競馬場でラクダのレース、写真提供:Shutterstock/Legion-Media
アストラハン
アストラハンがベニスと比べられるのには理由がある。ボルガ川の流れは市域内に11の島を形成し、そこには40本の橋がかけられている。
アストラハンはかつて、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の重要な街、アストラハン・ハン国の首都、ロシアのカスピ海の前哨地であった。ボルガ川は多くの島々を形成しながら、カスピ海に流れ込んでいる。偉大なるシルクロードはこの一帯(アストラハン州)を通っていた。
ロシアの皇帝イヴァン4世は1556年、アストラハン・ハン国を征服。アストラハンはロシアにとって、アジアへの交易の門となった。街では定期市が開かれ、200以上の民族が入り混じって暮らしていた。そのため、ここには多くの教会やモスクがあり、またアストラハン州リマン村には仏教寺までもがある。
アストラハン市内、写真提供:Lori/Legion-Media
アストラハンの旧市街は、イヴァン雷帝時代に建設されたクレムリンを中心に広がっていた。アストラハン・クレムリンは、ユネスコ世界遺産に登録申請中。
市内にあるP.M.ドガチン国立絵画ギャラリーには、19世紀と20世紀初めのロシア美術の作品、中でもアルヒープ・クインジ、イサーク・レヴィタン、イヴァン・シーシキン、カジミール・マレーヴィチ、ヴァシリー・カンディンスキーの絵画が展示されている。
広大な砂漠
ロシア人は砂丘と聞くと、遠い異国をイメージする。だが砂漠は国内にもあるのだ。20世紀初頭の時点で、旅行者はアストラハン州の巨大な砂の領域について語っていた。現在は草がどんどん生い茂っているが、カザフスタンとの国境付近では依然として、本物の砂漠を見ることができる。
ラクダ
ソ連時代から、「ロシアは象の故郷」というジョークがある。象についてはよくわからないが、これを「ロシアはラクダの故郷」に置きかえると、部分的には真実となる。アストラハン州沿ヴォルガ地区のトリ・ポトカ村にある競馬場では毎年、フタコブラクダのレースが行われている。
偉大なるシルクロード
セリトレンノエ城市跡、写真提供:Shutterstock/Legion-Media
中国とヨーロッパを結ぶ隊商の交易路網が存在していたのは、紀元前2世紀から15世紀までの千年強。交易路の1本はアストラハンを通過していた。アストラハン州の文化行政担当は、シルクロードに沿って点在する文化拠点を統合し、新たな観光ルートを開設。シルクロードのアストラハンの部分は、国際的なシルクロード観光プロジェクトに組み込まれている。州のいくつかの文化拠点は、シルクロードの観光ルートの重要な拠点になっている。これらの中には塩湖のバスクンチャク湖がある。8世紀、塩はここからシルクロードを通じて運ばれていた。また、ジョチ・ウルスの首都サライ・バトゥの発掘遺跡(セリトレンノエ城市跡)もある。
バスクンチャク塩湖
セルゲイ・チェルノフ/タス通信撮影
バスクンチャク湖は治癒効果のある驚きの塩湖。人が水面に簡単に横たわることができるほど、湖の塩分濃度は高い。新聞や本を持って横になることもできるが、注意が必要だ。体のどこかに傷口があると、塩分がしみてとても痛くなる可能性がある。湖の一部水域では塩密度がとても高く、湖面を歩くことさえできる。
なぜこのような湖名になっているのかは、はっきりとわかっていない。一説では、テュルク語の「バシ(頭)」と「クンチャ(犬)」から、「犬の頭」を意味するという。地元の伝説によると、古代に長期の干ばつ期があり、ある馬の乗り手が犬を連れながら、近道をするために湖底を走った。蹄鉄をつけている馬は塩のたまった湖底を走破したが、犬は足を負傷し、湖の中央部分に残り、そのまま塩の柱になったという。
バスクンチャク湖の塩の層の厚さは6キロメートルにもなる。
湖の塩は年間最大500万トン採取されている(ロシアの全塩生産の80%)。
1960年代初め、湖底があらわになっている場所のなめらかな底面は、サーキットとして使われたこともあった。ここでは1963年8月に、ソ連の自動車の最高速度が記録されている。モスクワのエンジニア、イリヤ・チホミロフは、自分で設計した車で毎時311.419キロメートルを出した。この記録はロシアで、いまだに破られていない。
仏教山ボリショエ・ボグド
マクシム・コロトチェンコ/タス通信撮影
バスクンチャク湖の近くにはボリショエ・ボグド山がそびえ立つ。こんな伝説がある。山はかつてウラル地方にあったが、2人の僧侶が山を肩に担ぎ、ボルガ川のほとりまで運ぶことを決めた。出発前に長い時間祈祷、断食し、次にそれはそれは重い山を肩に担いで、足を前に進めた。到着を目前にした時、カルムイク人の少女に出会い、そのまばゆいほどの美しさに、僧侶の一人の頭の中を罪深き考えがめぐってしまった。これによって山は崩れ、山の片面はその僧侶の血に染まった。ボリショエ・ボグドはいまだに、ボルガ川の手前50キロメートルのその場所にある。斜面には血を象徴する真紅の花が咲いている。
仏教徒のカルムイク人にとって、この山は神聖な場所である。ダライ・ラマがこの山を清めたとされ、カルムイク人はここに巡礼に訪れる。
4月には非常に美しい野生のチューリップが咲き、斜面一面が赤い色に染まる。特に観光客のお気に入りなのが、山のくぼみにあるワシの巣だ。山には30以上の洞窟があり、最長で500メートルに達する。山の周辺には固有の自然の領域ができている。
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