不思議の国のルイス

パノラマ・レストラン「ホワイト・ラビット」。写真提供:Press Photo

パノラマ・レストラン「ホワイト・ラビット」。写真提供:Press Photo

「不思議の国のアリス」で有名なイギリスの作家ルイス・キャロル(1832~1898)が、唯一旅行した外国がロシアだった。アリスがウサギの穴に落ちたように、キャロルもこの“冒険”に思いがけず“はまり込んだ”。この不思議な旅で白ウサギの代わりになったのが、ヘンリー・リドンだ。リドンは1867年7月4日、キャロルにロシア行きを提案し、そのわずか1週間後に旅立った。

 研究者は、キャロルがこの旅行で「鏡の国のアリス」の構想を引き出したと推測しているが、これが事実でなかったとしても、ロシアが強い印象を与えたことは確かだ。広々とした通りが伸びる「特大サイズの街」サンクトペテルブルク(ロンドン各所に比べて通りは2倍広い)を最初に訪れ、次にモスクワで2週間を過ごし、続いてニジニ・ノヴゴロドに行って市場を回った。

 

ロシアのアリス 

研究者はキャロルにロシアが強い印象を

与えたことは確かだ。写真提供:PhotoShot

 その時の興奮の様子は、キャロルの記録によく現れている。「zashchishchaiushchikhsya」(защищающихся、自衛する 人)などのロシア語の長くて発音の困難な単語を手帳にメモしたり、馬車の御者と値段交渉をしたこと、「(モスクワの正教会は)外観が多色の枝をつけたサボ テンみたいだ」や「(その丸屋根は)ゆがんだ鏡」などのように正教会をイギリスの教会と比較したこと、正教の聖職者と会って黒パンを食べたこと(その感想 は「食べられる物であることは間違いないが食欲はそそらない」)、穴だらけの道でガタガタに揺れたこと、シチー(キャベツスープ)やナナカマドの実の浸酒を 試食したこと、イコン画やおもちゃを買いあさったこと、ロシア語はわからないが劇場に行ったこと、望遠鏡を持って鐘楼にのぼったこと、たくさん散歩したことなどを日記に書いたりしている。

キャロルに印象を与えた名所の多くは、ロシア革命、社会主義国家樹立、ペレストロイカと新国家の成立など、歴史的に大変動した1世紀半を乗り越えることができなかったし、特にモスクワは当時の面影すら残していないところも多い。だが、あえて「不思議の国」をたどってみたい。

 

有名な高級ホテル「デュッソ」に泊まる 

 キャロルとリドンは、ロシア革命前のモスクワにあった高級ホテルの一つ「デュッソ」に宿泊した。このホテルはそのレストランや、レフ・トルストイ、 フョードル・ドストエフスキー、ピョートル・チャイコフスキーなどの滞在客で有名だ。文豪たちは自分の作品の人物もここに登場させた。トルストイは「アン ナ・カレーニナ」の中で、レーヴィン、カレーニン、ヴロンスキーをデュッソ・ホテルに泊めている。デュッソの建物は改築され、ホテルもなくなってしまった が、その劇場大通り33 Teatral'nyi Passageには最近、ユース・ホステルができた・・・

キャロルとリドンがロシア料理を食べに行った「モスクワ料理屋」は現在、「モスクワ」ホテルに変わっていて、洗練された料理を食べることはできる。ただそれはロシア料理ではなく、メキシコ料理だ・・・

 


より大きな地図で ルイス・キャロルのモスクワ を表示

まずは雀が丘でモスクワを一望 

 「丘に上がれば街をすべて見渡せる」と言われているように、キャロルも最初に雀が丘からモスクワの街を一望した。 「モスクワ川の湾曲部を手前に、森全体、教会の鐘楼と丸屋根の広大なパノラマ」が展開した。現在は鐘楼の代わりに、スターリンの高層ビル群「七姉妹」がモ スクワ川の湾曲部にそびえ立ち、1980年モスクワ五輪の遺産のスタジアム「ルジニキ」がドンと構えているが、それでも丘の上の展望台は変わらぬ人気があ る。少なくとも旅行客、若者、バイカーには好評だ。すっかり開き直って、展望台と川岸通りをつなぐロープウェーに乗ることも可能だ。

雀が丘からは、キャロルも目にしたノヴォデヴィチ女子修道院がよく見える。ロシアでもっとも有名な女子修道院の印 象について、キャロルは日記に記さなかったが、その代わり修道院の墓地について、「(墓石は)非常に高いセンスと芸術的感性がうかがえる」と表現してい る。この墓地にはアントン・チェーホフ、ニコライ・ゴーゴリ、ミハイル・ブルガーコフなどの作家や、ニキータ・フルシチョフなどの政治家の墓が建てられ、 当時から1世紀半経過して、モスクワでもっとも名誉ある場所に変わった。修道院自体は16~17世紀に建設され、以降多くの名家の女性たちがここに入ったため(誰もが自分の意思で入ったわけではない)、キャロルの時代には市内でもっとも裕福な修道院の一つと考えられていた。ロシア革命後、この鐘楼は画家ウラジーミル・タトリンの工房になり、修道院は博物館に変わった。現在は再び修道院として機能しているため、この場所で19世紀を想像することはさほど難しくはない。

キャロルとリドンがロシア料理を食べに行った「モスクワ料理屋」は現在、「モスクワ」ホテルに変わっていた。=Lori/Legion Media撮影

クレムリンと教会 

 キャロルは珍しいクレムリンも、入念に観察した。イワン雷帝の鐘楼に上り、武器庫の多数の展示物を見学して「ブラックベリーのごとくたくさんの作品が目にちらついてくるまで、王座や王冠などの貴重な品が続く」と書き、宮殿について「この宮殿を見たら、他の宮殿が狭くまたみすぼらしく見える」と記した。案内役については「これまで関わった人物の中でもっとも嫌な感じ」、そして聖ワシリイ大聖堂については「外部と同じぐらい内部も凝っている(ほとんど奇妙)」と書いている。

モスクワの修道院の正教礼拝も、何度も見学した。中心部のペトロフカ通り(Petrovka Street)に位置する聖ヴィソコペトロフスキー修道院は、 現在再開しているが、キャロルのように朝5時に起きて礼拝を見に行く必要はない。現在は朝の礼拝が9時に始まるし、見学ツアーは午後から可能となってい る。運が良ければ修道院の食堂に入ることもできる。ペトロフカ通りのこの場所は、キャロルのモスクワと現代のモスクワがぶつかる場所の一つだ。修道院の向 かい側の現代美術館には、キャロルの作品の登場人物が紅茶を飲むことを少し皮肉るように、カフェ「マルト」がある。

 

ラブホテル「ホワイト・ラビット」 

スモレンスカヤ広場3(Smolenskaya Square 3)にあるパノラマ・レストラン「ホワイト・ラビット」と、シチェルバコフスカヤ通り54(54 Scherbakovskaya Street)にある白ウサギの像は、キャロルのちょっとした「遺産」だ。キャロルの小説に登場するキャラクターの名前が、モスクワのさまざまな場所で使われていると知ったら、本人はきっと驚くに違いない。その名前はレストラン、ナイト・クラブ、ファミリー・クラブ、デザイン・スタジオ、教育センター、美 容院、そして、ラブホテルにまで使われているのだ・・・

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