皇帝一家のメンバー5人と使用人らの遺体がエカテリンブルク郊外で見つかったのは、ようやく1991年になってのことだった。その中には皇太子アレクセイと大公女マリアの遺体はなかった。埋葬について、専門家の意見は分かれた。これはまさしく皇帝一家であると言う人もいれば、それを否定する人もいた。ロシア最高検察庁は遺体の捜査を行い、身元確認を行った。しかるのち遺体はサンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク聖堂に葬られた。
2007年、皇帝一家の残りの2人、アレクセイとマリアの遺体が発見された。以来ふたりの遺体はロシア国立アーカイブに保管されている。しかし、専門家らは、他の皇帝一家のメンバーと一緒にペトロパヴロフスク聖堂に埋葬するよう働きかけている。
11月末、この一件は、特段の重要性のある捜査案件として管轄分けされ、さらなる遺伝学的鑑定のために、アレクサンドル3世皇帝の遺体まで検死のために発掘された。
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捜査は二度にわたって行なわれている。まず捜査に取り組んだのは、白衛軍の予審判事、ナミョートキン、セルゲーエフ、ソコロフといった人たち。ソコロフは膨大な資料を収集し、それが捜査で重要な役割を果たした。
二度目の捜査は1993年に始まった。ロシア検事総長がこの問題を刑事事件として立件したためだ。
ロシアの法律では、故殺には時効がない。そのため、皇帝一家殺害に関する捜査が始まった。
2000年、ロシア正教会は、皇帝一家を列聖し「受難を耐える者」として崇敬の対象とした。だからこそ、ペトロパヴロフスク聖堂に埋葬される遺骸に過ちが起こらないようにすることが、極めつけに重要なのだ。
正教会は、ロシア科学アカデミー会員で歴史家のヴェニアミン・アレクセーエフ氏の見解を支持している。氏は「エカテリンブルクの遺骸」が皇帝一家に帰属することに疑義を呈している。
アレクセーエフ氏は、公式に射殺されたとされる日付の後にニコライ2世の娘たちに昼食を運んでいたという女官の証言を援用している。
また、ソコロフ予審判事のアーカイブに保管されている情報には、ロマノフ一家の処刑後、ソビエト指導部は、ドイツの外交官らと「皇帝一家の生活の囲い込み」について協議を行なっていた、とある。
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またアレクセーエフ氏は、外国の歴史家の研究を引きながら、ドイツの元宰相ウィルヘルム2世は代父として皇女オリガに1941年まで年金を支払っていた、と語る。
もうひとつ悩ましい事実は、アレクセイとマリアの遺体発掘の中で、遺骨の隣に1930年の硬貨が見つかっている、ということだ。
多くの人がそう考えている。今のところ、アレクセーエフ氏の主張の各項目に、反論が見つかっている。女官は撹乱のために意図的に虚偽の証言を行なったのであり、ボリシェヴィキは皇帝一家の死を秘密にしておきたかったからこそ交渉を続けたのであり、1930年の硬貨は埋葬後に地中に紛れ込んだのだ、と。
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そういう説はある。一部の人は、埋葬は見せかけで、ソビエト政権が革命後に偽装したものであり、皇帝一家は全員が、または何人かが助かったのだ、と考えている。
米国女性アンナ・アンダーソン(故人)は、大公女アナスタシアを自称した。ニコライ2世のいとこであるアンドレイ大公もそれを事実と認めていた。しかし、皇室のほかのメンバーは、彼女との親類関係を否定する「ロマノフ宣言」を出した。
少なくとも総勢230人を数える。内訳は、アナスタシア34人、マリア53人、タチアナ33人、オリガ28人。最大の「クローン」人数を擁するのは皇太子アレクセイで、81人。実在しない皇女アレクサンドラとイリーナを名乗った女性も二人いた。
皇帝一家は欧州の銀行に資産を残していた、と考えられている。僭称者はそれへの権利を手に入れようとしたのだ。アンナ・アンダーソンは40年にわたり銀行と法廷で争ったが、ついに敗訴した。
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