ソビエト滅びて四半世紀

カルピンスキーロシア全国地質研究所の博物館=

カルピンスキーロシア全国地質研究所の博物館=

ユーリー・ベリンスキー/タス通信
 ソビエト連邦崩壊から今年で25年。かつて「赤い帝国」が占有した地球の全陸地の6分の1に及ぶ土地で、この間何が起こったか、総括を試みよう。そこではソ連の再興が試みられているのだろうか。超大国崩壊の慣性はどれほど強力なものなのだろうか。

 旧ソ連諸国で何が起きたか、また何が起きつつあるかについてイメージを得るには、ソ連崩壊直後に誕生し、今も存続している最古の機構、CIS(独立国家共同体)のたどった経過を覗いてみるのがいいだろう。

 一面では、CISはアラブ連盟やアフリカ連合に似ている。そこには欧州委員会のような執行機関がない。しかし他面、CISは、単なる「共同決定を審議するためのフォーラム」と呼ぶにはあまりに大きな何ものかである。識者によれば、CISは加盟国の統合の深さにおいて、他の多くの地域連合から際立っている。

 

ロシアは統合どころではなかった

 もっともCISは、その発足時、現状より遥かに大きなものになることが期待されていたのである。それは周知の事実だ。CIS内では、EU(欧州連合)をモデルに統合を深化させる計画が議論されていた。1994年にはカザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が、CISを土台に「ユーラシア連合」を創設することを提唱している。しかし、この時点では、このプロジェクトには実現の目がなかった。ロシアでさえ、エリツィン時代には、そのような統合へ向かえるような状態ではなかった。以上はCIS諸国研究所のウラジーミル・ジャリヒン氏の見解だ。

 ロシアを含め、CIS諸国は、自らを国家として建設することにかかりきりだった。それは全く容易ならざるわざであった。90年代、旧ソ連諸国で複数の軍事紛争が勃発し、タジキスタンの内戦では万単位の人死にが出ていたことを思えば、それがいかに難事であったかは容易に了察されよう。それでも、のちナザルバエフ氏が述べたように、「CISという枠組みの中で我々の共通の経験は洗練された。今や、より実りある、態様も速度も様々であるような地域統合形態へと、次第に移行できるようになった」のである。

 

ユーラシアの統合

 その「経験」は、旧ソ連諸国情勢が変化しはじめた2000年代、応用されるに至った。モスクワに新たにウラジーミル・プーチン政権が誕生し、独自の統合プロジェクトを実現しはじめた。しばしば「ユーラシアの」という形容詞をつけられた統合プロジェクトだ。その中核に名乗りを上げたのが、統合志向を早くから鮮明にしていたカザフスタン及びベラルーシの両CIS加盟国だ。なお、ロシアとベラルーシの国家連合はすでに1999年、ルカシェンコ及びエリツィンの両大統領によって創設されていた。

 2001年には早くも「ユーラシア経済共同体」の創設に関する条約が調印された。「統合の中核」たる上記諸国に加え、キルギスとタジキスタンがプロジェクトに参加した。ウズベキスタンは数年間の参加の後、この枠組みから撤退した。

 プロジェクトは拡大し、2015年1月には「ユーラシア経済同盟」へと変貌した。加盟国は引き続き5カ国。ただし、タジキスタンが抜け、アルメニアが入った。同盟は現時点ですでに十分に成立したプロジェクトと見なせる状態になっている、とは、ロシア連邦大統領付属ロシア国民経済・公共行政アカデミーのヴャチェスラフ・ミハイロフ氏の弁。

 ユーラシアの統合プロジェクトが始動すると、ウラジーミル・プーチン氏に対し、「ソ連を復活させようとしている」という非難が浴びせられるようになった。ソ連崩壊は「20世紀最大の地政学的な惨事」であるというプーチン氏のあの発言も一役を買った。もっとも、彼のこの発言は、社会の支配的多数の気持ちを代弁したという側面が大きいのだが(ロシア人の63%がソ連消滅の事実を否定的に受け止めていた)。またプーチン氏自身、繰り返し、ソ連を再び興すなどというプランはない、と発言してきた。「すでに過ぎ去ったものを修復または模造することに努めても甲斐のないことだ。しかし、新たな価値観および政治・経済的基礎をもつ緊密な統合は時代の要請するところだ」。2011年秋に発表した論文でプーチン氏はこう述べている。

 

「ロシアに代わるパワーの中心」

 旧ソ連諸国では、ロシア主導のユーラシア・プロジェクトのほかにも、統合の試みがとられた。約20年前、グルジア・ウクライナ・アゼルバイジャン・モルドバの4カ国から成るGUAM(民主主義と経済発展のための機構)というブロックが形成され始めた。のち、ある期間、ウズベキスタンもこれに加わり、略号をGUUAMとしたが、例によって間もなく脱退した。ウズベキスタンは、同じくCISに属するトルクメニスタンと同様、旧ソ連諸国間の同盟に対して非常に慎重である。

 GUAMは1990年代末、4か国首脳の会合で誕生した。2004年にウクライナでオレンジ革命が起きると、組織の発展に弾みがついた。GUAMはロシアのエネルギープロジェクトを代替するものとして、カスピ沿海からロシアを経由せずに欧州へエネルギー資源を届けることを目指した。しかし徐々にそうした声は聞かれなくなっていった。国家元首レベルで最後のサミットが行われたのは2008年だ。

 CIS諸国研究所のウラジーミル・ジャリヒン氏によれば、加盟諸国間の経済的な結びつきが非常に小さいとき、政治ひとつの上にプロジェクトは成り立つものではない。また、高等経済学院のアナリスト、アンドレイ・スズダリツェフ氏によれば、GUAMは「何らかの点でロシアに恨みを持つ」諸国の集まりである。加盟諸国は、アゼルバイジャンを除き、いずれもEUと連携協定を結んでいる。またいずれの加盟国も、国内に分離派勢力との対立を抱えている。「GUAM、それはロシアに代わるもうひとつの『パワーの中心』を創り出す試みなのだ」とスズダリツェフ氏。

CISとは

 CISの正式加盟国はアゼルバイジャン、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、モルドバ、ロシア、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン。グルジアは2008年、ロシアとの5日間戦争後に脱退した。ウクライナはCIS憲章を批准しておらず、最近になってウクライナ議会にCISの完全脱退に関する法案が提出された。CIS加盟国相互間の訪問にはビザが不要(ただしトルクメニスタンを除く)。またCISはひとつの自由貿易圏を成し、各種の社会保障協定を共有している。

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