大統領初就任から15年のプーチン

ロイター通信撮影

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国営テレビ「ロシア1」は26日、大統領1期目の就任から今年5月で15年を迎えるウラジーミル・プーチン大統領の、特別ドキュメンタリー・インタビュー番組「大統領」を放映した。プーチン大統領が語った、これまでのエピソード、欧米との関係、国民との関係などについて、ロシアNOWがポイントをまとめた。

初めて大統領に就任した時のこ

 「エリツィン政権の首相を務めていた時、エリツィン大統領が私の大統領選への立候補について明らかにした。するとオリガルヒ(新興財閥)の一部がベールイ・ドームの私の執務室に来て、向かい側に座り、『大統領になんて絶対なれるわけないって、わかってますよね』と言った。私は『さあ、どうでしょう』と答えた」。いかにしてオリガルヒを黙らせたのか、という質問に、プーチン大統領は、「いろいろと。異なる手段で」と答えた。

 「20年近くKGBで対外諜報活動を行っていた私にさえ、共産党の一党支配というイデオロギー的な防壁の崩落にともなって、すべてが根本的に変化するように思えた。だが、根本的に変化することはなかった。いかなるイデオロギーとも無関係な地政学的利益というものもある、という単純なことが、遅ればせながら判明した。ロシアのような国にも地政学的利益があるということを、他の国は理解する必要がある」

 

カフカスとテロの問

 「FSBの長官だった時、さまざまな作戦に関する書類を読んだ。そこには、『今は特別な歴史的瞬間。ロシアからカフカスを切り離せるチャンスが俺達にはある。今を逃したら、次はない』と書きあっていた国際的なテロリストの追跡作戦もあった。そして、今ロシアが踏ん張らなければ、もう国を維持できるチャンスは二度と訪れないということが、我々にもはっきりしていた」

 「ロシアの特殊機関はある時、北カフカスの戦闘員と、アメリカの特殊機関の関係者が、アゼルバイジャンで直接交流していたのを記録した。これは実際的な支援で、輸送まで手伝っていた。私がこれを当時のアメリカ大統領に言ったところ、こういう回答をもらった。『じゃあ、あいつら(アメリカの特殊機関関係者)のケツを蹴飛ばしておくよ』(言われたまま)と。だがその10日後、私の部下のFSBの幹部たちは、アメリカの特殊機関の幹部からこういう内容の手紙を受け取った。『ロシアのすべての反政府勢力との関係を維持してきたし、維持していく。我々にはそれをする権利があると考えており、今後も続ける』と」

 

この15年でもっとも悲劇的なできご

 「むろん、恐ろしいテロ攻撃。それはベスランであり、ドブロフカの劇場であり。(中略)これはおそらく、国民が通らねばならなかった、もっとも、もっとも困難なこと」

 

西側がロシアを好きになってくれる

 「ロシアが人道支援を必要とすれば、西側に愛される、という印象を時々受ける。そうすればすべてが丸く収まり、西側はジャガイモを送ってくれる。(中略)これらの国の統治層、政界のエリートや経済界のエリートは、赤貧で物乞いをしているロシア人が好きなのだ」

 

クリミアとウクライナの問

 「ロシアは物事の決まりを破ってなどいないと、深く確信している。物事の決まりとは、何よりも国際法、国際公法、国連憲章とこれに関連するすべてのこと。これはロシアとウクライナとの関係、クリミアの状況、世界の他の地域における対国際テロへのロシアの立場についてである」

 「我々にとってもっとも重要だったのは、クリミアの住民が何を望んでいるのかを理解すること。(中略)ロシアに戻りたい、またネオナチ、極端な民族主義者、バンデラ主義者の統治下にいたくないというのであれば、こちらには住民を放置する権利はない。(中略)何かを奪いたいからというわけではないし、クリミアが黒海において戦略的に重要だからというわけでもない。これが歴史的正当性の要素だから。我々は正しいことをしたと思うし、私は何も後悔していない」

 

自分自身のこ

 「私はいわゆるエリートであったことがない。これは大変良いこと。別の階層で暮らしたり、または生まれたりすることも悪いことではないし、ここには独自のプラスもある。(中略)だが、私のような仕事をしている者にとって、一般の人への帰属感というのは極めて重要」

 「私は追加的な(情報)源を探そうとはしていない。十分に足りているから探す必要はない。なぜかはわからないし、説明することもできない。(中略)ただ自分をこの国の一部、国民の一部だと感じている。(中略)国民が不満を持っていると感じると、シグナルは瞬時に私に届く」

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