画家セローフが捉えた時代と美

 ロシアの画家ワレンチン・セローフ(1865年~1911年)の生誕150年展が、モスクワのトレチャコフ美術館で開催され、空前の盛況ぶりとなっている。ゼリフィラ・トレグロワ館長は、ロシアの美術館史上最多の来館だと話した。セローフは従来の肖像画というジャンルのイメージを革新した。そんな作品を、ロシアNOWが特集する。

 ワレンチン・セローフは、サンクトペテルブルクの音楽評論家と作曲家の家庭に生まれた。後継の法則に反し、芸術家の道を選んだ。/自画像、1880年代

 それまで、多くの公式肖像画は既定通りに描かれていた。構図ソリューションをうまく見つけられたセローフは、それを多用した。というのも、人々をほぼ同じ姿勢で描くことを余儀なくされていたからである。/作曲家ニコライ・リムスキーコルサコフ、1898年

 セローフの母はかなり早期に息子の才能を見いだし、偉大なイリヤ・レーピンに師事できるよう配慮した。「今世紀、描かれるものはどんどん重くなり、いかなる喜びもない。私は楽しいものを求めているから、そういうものしか描かない」と、ステータスの高かった芸術アカデミーをすぐに窮屈に感じたセローフは、去る時に話した。/ミカ・モロゾフ、1901年

 

 こうして1887年、セローフの代表作「桃を持った少女」が誕生する。この絵のモデルは、有名なメセナで収集家のS.I.マモントフの娘のヴェーラ。若さの詩的情緒をこれほどまでに魅惑的なピュアさと技能で表現したロシアの芸術家は、それまでいなかった。

 

 若さ、新鮮さ、生活の静かな喜びは、次の絵画「木漏れ日に照らされる少女」(1888年)でも見事に表現された。セローフは人と自然の状態に興味を持ちながら、ポスト印象派へと独自の一歩を進めた。「私が達成できたすべてとは、自然の中で常に感じ、絵画では見ない新鮮さ」

 セローフは以降、自分の技能を常に向上させながら、当時の著名人の肖像画を次々に描いていった。モデルには皇族や公、実業家や銀行家、芸能人や芸術家がいた。/画家イサーク・レヴィタン、1893年

 それまで、多くの公式肖像画は既定通りに描かれていた。構図ソリューションをうまく見つけられたセローフは、それを多用した。というのも、人々をほぼ同じ姿勢で描くことを余儀なくされていたからである。/作曲家ニコライ・リムスキーコルサコフ、1898年

 19世紀後半のセローフの公式肖像画には、平凡な姿勢や英雄的な静態はなかった。モデルはセローフのキャンバスで、誰かを装うことなく、自然な自分であり続けた。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の数ある肖像画の中でも、セローフが描いた作品は最高作の一つとなっている。

 1900年代にセローフのモデルになったのは、まるで何かの台座の上に立っているような、孤高の印の押された英雄。騒然とした革命時代は、このようなイメージをつくりだした。/有名な演劇女優マリヤ・エルモロワ、1905年

 セルゲイ・ジャギレフ演出のバレエ、クレオパトラとシェヘラザードは当時、センセーションとなった。これらのバレエの主役を演じたダンサーのイダ・ルビンシュタインを見て、セローフは「エジプトとアッシリアが何らかの奇跡によってこの非凡な女性の中によみがえった」と話した。/イダ・ルビンシュタイン、1910年

 2014年、「マリヤ・ツェトリンの肖像画」(1910年)は、オークション「クリスティーズ」で926万ポンド(約15億6000万円)で落札された。これはセローフの絵画としては、またクリスティーズで落札されたロシアの芸術品の中で、最も高額である。

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