ノリリスク鉄道は、世界最北の輸送ルートの一つだ。荒涼としたツンドラの真っ只中に作られた線路が、鉱業都市であるノリリスクとタルナフを、エニセイ川下流の河港都市ドゥディンカとつないでいる。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影極圏よりもはるか北に位置するこの鉄道は、ロシアの残りの鉄道ネットワークから切り離された孤立した鉄道特有の例だ。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影シベリア北部の気候はきわめて厳しい。ここでは冬が8〜9ヶ月間続く。氷点下40℃を下回る気温と強風のため、ここでの生活はほとんど耐えがたいものだが、鉄道の従業員はそのような条件下でも屋外で働かなければならない。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影この鉄道の開始地点は河港都市のドゥディンカだ。波止場に設置されたクレーンは、満潮時に埠頭から離れた所に移動される。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影私は20年以上にわたり、ノリリスク鉄道に旅行することを夢に見てきました」と言うのは、ロシアの鉄道の旅をほぼ全て網羅したというロシア人鉄道愛好家のセルゲイ・ボラシェンコ氏だ。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影「本土から何千キロも離れた所にあるこの神秘的で孤立した極北の路線は、私の想像をかき立てました」
セルゲイ・ボラシェンコ撮影20年以上にわたり、セルゲイ氏はロシアの鉄道の正確なレポートを作成してきた。彼は、2010年6月にノリリスク線に行った時の旅行を最も刺激的な経験として回想している。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影最初の狭軌線は、ソ連政府がノリリスク鉱業会社を設立する決断をした1930年代に、ここに敷設された。1950年代に、この鉄道は1520 mmの標準軌の線路に変更された。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影この鉄道の敷設作業の大部分を行ったのは、エニセイ川の河港都市であるドゥディンカから船で連行されてきたグラグ (矯正労働収容所) の囚人だった。// ノリリスク郊外にあるスクラドスカヤ駅周辺
セルゲイ・ボラシェンコ撮影この鉄道には本土との接続がなかったため、機関車や自動車も同じ経路を伝って運送されてきた。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影スターリンはこの極圏の鉄道を拡張して、戦略的に重要なノリリスクの鉱業とモスクワをつなぐことを計画していたが、1953年のスターリンの死後、この計画は白紙となった。// ノリリスクの景観
セルゲイ・ボラシェンコ撮影1960年代にはこの路線は電化され、定期的な旅客サービスが可能になった。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影新たな郊外型の列車は、特に自動車による移動が豪雪のため頻繁に中断される冬には、地元住民の間で人気だった。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影しかし、ノリリスクの鉱山会社の経営が赤字から脱出できなかったため、1998年に旅客列車が運行を停止した。/ /ノリリスク郊外の火力発電所
セルゲイ・ボラシェンコ撮影鉄道の所有者がディーゼル機関による運航を選択した結果、電気機関車は解体された。// ノリリスク郊外のゴリコヴォ駅
セルゲイ・ボラシェンコ撮影郊外型列車の車体は、今でも路線沿いで目にすることができる。この地域には金属リサイクル処理施設がない一方で、本土への輸送料は高すぎる。
セルゲイ・ボラシェンコ撮影この鉄道の終点地は鉱業都市のタルナフだ。
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