10枚の写真でわかるモスクワの公共交通機関の歴史

今年の5月15日にモスクワ地下鉄が開業80周年を迎えるのを記念して、モスクワ博物館は、あらゆる時代を通じたこの都市の交通史を展示している。
今年の5月15日にモスクワ地下鉄が開業80周年を迎えるのを記念して、モスクワ博物館は、あらゆる時代を通じたこの都市の交通史を展示している。
モスクワで最初の交通手段は伝統的な馬車だった。それらの馬車を御していたのは、おそらく冬場に出稼ぎに来た小作農民だったと思われる。夏の間、彼らは本業の農業に従事した。
19世紀には、モスクワでは鉄道が急速に発展し始めた。1872年から1874年にかけて、馬車のための線路が敷設され、それらは馬が牽引する客車と化した。いわゆる馬車鉄道だ。
路面電車を必要としていたこの都市にそれが初登場したのは1899年のことだった。当初の路面電車は、馬が牽引する客車が使用していた線路上を運行していたに過ぎなかった。だが、1920年代になると、路面電車に対する需要は高まり、より高速化した。
モスクワ市民は路面電車の方を好んだ。1940年代には、モスクワ市の路面電車の路線は560 kmの長さに達した。その後の40年間で総距離は100 km短くなり、他の交通手段によって置き換えられた。
20世紀初頭には超現代的なモスクワ地下鉄の建設が押し進められた。そして80年前となる1935年に最初の駅が開業した。当初の区間(「赤い線」の別称を持つ現在のソコーリニチェスカヤ線の一部)は、ソコリニキ駅からパルク・クリトゥールィ(文化公園)駅までの短距離で、スモレンスカヤに向かって分岐していた。
20世紀には、交通機関はこの都市の水路にも進出していった。モスクワはモスクワ川沿いに成立したが、人々の移動にようやくこの川が活用されるようになったというわけである。
1930年代に撮影されたこの写真は、「キーロフ記念号」と呼ばれる船をとらえている(キーロフは1934年に暗殺されたソ連の政治家)。この船は、「偉大なるスターリンを讃える」と書かれた横断幕をマスト上に掲げ、モスクヴォレツキー橋の下を通ってモスクワ川を下っていった。
モスクワにタクシーが初めて登場したのは、当時の新聞「モスクワの声」が、米国の都市の道路でオールズモビルが「運搬車: 合意に基づいて支払い」という看板を掲げていることを報道した1907年のことだった。「タクシー」は、「タクシーメーター」、すなわち運賃の計算に用いられるデバイスの略称である。
現在、モスクワはさらに地下鉄駅を建設したり、サイクリストのためにより広いスペースを確保したり、新しいデザインの切符を発行しているが、この都市の交通の歴史を振り返ってみると、それは古風さや趣に満ちており、まったく異なったリズムで機能していたことが窺えるのが愉快である。この展示はモスクワ博物館(ズボフスキー大通り2番地)で5月31日まで開催されている。

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