その起源については信じがたい伝説が流布されている。
その一つの説によると、この料理が最初に登場したのは、革命的な議論が白熱していた1919年のことだった。小さな旅館と居酒屋で働くあるシェフが、ニシン (プロレタリア階級の象徴) に数個のジャガイモ (小作農民の象徴)、赤カブ (血とボリシェヴィキの旗の色) とフランスのプロヴァンス・ソースを加え、巧みにすべての材料を一皿にまとめた。これは1919年の大晦日に居酒屋のボゴミロフ屋で供された。
居酒屋の客や宿泊客全員が、この珍味を存分に楽しんだ。そのおかげで彼らは飲み過ぎなかったため、いつもほどひどい喧嘩もしなかった。この料理には標準的なソ連の命名方式、つまり略称の名前がつけられた。ロシア語の「ショヴニズム・イ・ウパドク — ボイコット・イ・アナフェマ」(だいたいの意味は「排外主義と凋落はボイコットしアナフェマ(殲滅、聖絶)に処すべし」) という言葉は「ShUBA」という略称を生んだが、これはロシア語で「毛皮コート」を意味する。
別の由来の説は、より日常的な点に関連するものだ。このサラダをより濃厚にするには、高カロリーの野菜、脂肪分の多いニシンやマヨネーズが必要である。つまりこれは、さわやかで快活な夏場にぴったりな新鮮な野菜のサラダではない。これは、冬場に体温を温かく保つために体が必要とする、カロリーをたっぷり含んだ食欲をそそるサラダなのである。本質的に、このサラダは、毛皮コートと同様に、冬場を乗り切るためのものなのだ。
衣をつけたニシンは、東欧のアシュケナジム料理 (フォルシュマークやゲフィルテ・フィッシュに似たもの) とバルト海沿岸やスカンジナビア地方の伝統料理 (当初、とても合うとは想像も及ばないような材料と組み合わせたニシン料理で有名)、およびロシアの前菜 (ヴィネグレットなど) を組み合わせたものである。
作り方は以下の通り。
1) ジャガイモ、ニンジンとビートを事前に茹でて、粗くすりおろす必要がある。
2) ニシンを細長く切り、ボウルに入れるが、すべての材料がばらばらにならないようにするために、深すぎず、浅すぎないようにする。
3) タマネギを薄めの半円状に切る。
4) 次に最初のマヨネーズの層を塗る。
5) 次の層はジャガイモだが、これはそっとマヨネーズの上に重ねる。
6) マヨネーズ三昧の気分なら、マヨネーズを各層の間に加えてもいいだろう。今回はマヨネーズは使わず、次のニンジンの層を加えることにする。最後の層を加える前に軽く押し固める。
7) 最後に加えるのはビートだ。この料理が素敵な紫色になるのはビートを使うからだ。残りのビートをマヨネーズと混ぜると、より鮮やかな紫色になる。
8) それでもサラダのコレステロール分が不足気味に感じられるなら、おろし卵をまぶすといいだろう。卵にハーブを加えれば出来上がりだ。
できあがった料理はお世辞にも健康的とは言えないが、とても美味しそうに見えるし、今日に至るまでロシアの食卓でずっと人気を維持いし続けてきた料理だ。