コルネイ・チュコフスキー氏
=ウラジーミル・サヴォスチアノフ/タス通信コルネイ・チュコフスキーの詩を、ロシア人の誰もが暗唱できるほどよく知っている。日本では「2歳から5歳まで」が日本語に翻訳されており、教育者の間で知られている。3月31日は、チュコフスキー生誕135年。
ロシアでは、老若男女が子ども時代からチュコフスキーの本に触れている。その詩と童話を穴があくほど読み、ひんぱんにくり返し読むことで自然に暗記していく。この最も有名な児童文学作家はいまだに、書店の売り上げランキングで他を大きく引き離してトップに立っている。
限りなく続く人気の秘密は、チュコフスキーがモラリストではなかったこと、とても陽気な性格で、大の子ども好きだったことにあるのではないだろうか。優しさは常に勝ると信じる気持ちが作品の中に浸透しており、チュコフスキーの登場するところには大勢の子どもが集まっていた。
だが、チュコフスキー自身の人生は、決して楽なものではなかった。
チュコフスキーは1882年3月31日にサンクトペテルブルクで生まれ、オデッサの学校に通ったが、「身分の低さ」(母親は父親の家の女中だった)により、5年生で除籍となった。それでも独学で多くを学び、たくさんの本を読み、英語とフランス語も独学で習得した。
1901年、新聞「オデッサ・ニュース」の記事を書き始め、2年後に特派員としてイギリスのロンドンに行く。本人によれば、自分は悪い記者だったという。議会の会議を訪問する代わりに、大英博物館図書室に一日中こもり、イギリス文学を読み漁っていた。
1905年、ロシア第1革命の際に帰国。事態に強い関心を持ち、サンクトペテルブルクで風刺雑誌「信号」を発刊した。これにより、後に逮捕されたが、弁護士の努力あって無罪になった。
チュコフスキーは英語の翻訳を活発に行った。マーク・トウェイン、オスカー・ワイルド、ラドヤード・キップリングなどの世界をロシアの読者に拓いたのはチュコフスキーであり、オックスフォード大学で名誉文学博士号を授与されることになる。
だが翻訳家ではなく、児童文学作家として有名になった。「子ども向けには大人向けと同じぐらいうまく書く必要がある。むしろ大人向け以上にうまく」とチュコフスキーは話している。
「ワニ」、「モイドディール(洗面台のおばけ)」、「ゴキブリ大王」などはまたたく間に人気作品となった。いまだにロシアの子どもに読み聞かせられている。チュコフスキーは2~3歳の小さな子ども向けの童話を最初に書いた作家の一人。
アレクサンドル・バタノフ/タス通信
童話の目的とは、何よりも「他人の不幸を心配し、他人の喜びを嬉しく思い、他人の運命を自分の運命のごとくとらえるという人間の素晴らしい能力、人間性を、何らかの価値によって子どもの中ではぐくむ」ことだと、チュコフスキーは確信していた。
同時に、子どもの心理と表現の習得の仕方を研究し始める。子どもの言語的創造性を観察し、「2歳から5歳まで」の本にまとめた。日本の教育者は、たとえば、これを最高の児童心理学研究の一つと考えている。
だがソ連政府は童話を例外視することはなかった。1930年代には、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンの妻ナデジダ・クルプスカヤの主導で、チュコフスキーに対する迫害が始まる。作品の形式と内容がソ連の教育学の課題にあまり合っていないと考えられた。チュコフスキーは事態に打ちのめされ、その後長期間執筆できなかった。
「ゴキブリ大王」(1925)の主人公は、一部の読者にヨシフ・スターリンをほうふつとさせた。獣の国に「恐ろしい巨人、赤毛で口ひげを蓄えたごきぶり」が登場し、自分の夕食に獣の子を持ってこいと言いながら、皆を怖がらせる。獣の民は恐怖に震える群れになる。そしてスズメが登場し、ゴキブリを食べてしまう。チュコフスキーがスターリンのことを書いたのかは、不明のままである。
チュコフスキーはソ連社会の多くのことを受け入れられなかった。ボリス・パステルナークがノーベル文学賞を受賞した際に祝福した、ソ連で唯一の作家であった。アレクサンドル・ソルジェニーツィンの才能を見て、世界で初めて「イワン・デニーソヴィチの一日」(収容所の話)を称賛し、ソルジェニーツィンが迫害を受けた祭には自分の別荘にかくまった。「寄生」の罪で裁判にかけられていた詩人ヨシフ・ブロツキーも、チュコフスキーは守っていた。
チュコフスキーはその後、子ども向けに聖書を書きなおす作業に取り組んだが、ソ連の反宗教的なイデオロギーにより、困難を強いられた。「バベルの塔と他の古代の伝説」の初版すべてが、政府によって処分された。読者が読めるようになったのは1990年以降である。
1938年からは、モスクワ郊外の作家村ペレジェルキノの別荘で時間を過ごすことが増えた。まるで磁石のように、チュコフスキーのでかけるところに地元の子どもたちが集まっていた。チュコフスキーは自費でペレジェルキノに図書館を創設。現在も運営は続いている。
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