水難救助からレーニン生誕まで

処女地開拓記章を授与された「ペトロパブロフスキー」ソブホーズのベテラン労働者

処女地開拓記章を授与された「ペトロパブロフスキー」ソブホーズのベテラン労働者

=ボリス・クリピニツェル/タス通信
 今年の2月16日は、ソ連の水難救助記章制定60周年の日。ソ連には、他にも一風変わった褒賞があった。

 御多分に漏れず、ソ連にも、戦争の英雄や傑出した社会活動家や労働の突撃作業員に授与される勲章や記章があった。そのほとんどは、共産主義に関連したもので、たとえば、最高の褒賞は、レーニン勲章であり(褒賞好きで知られるソ連共産党書記長レオニード・ブレジネフには、それが8つあった)、それに次ぐのは、十月革命勲章であった。とはいえ、他にも勲章や記章はあり、それらは、ときには変わった理由で授与されていた。

 

1. 水難救助記章

水難救助記章=ミハイル・クレショフ/ロシア通信水難救助記章=ミハイル・クレショフ/ロシア通信

 

 「溺れる者は、自分が救え!」 イリヤ・イリフとエフゲニー・ペトロフの風刺小説『12の椅子』には、そんな名文句が出てくる。このアイロニカルなフレーズは、ロシアでは今もポピュラーだが、溺れる者へ手を差し伸べることは、ソ連ではもっとヒューマンなものだった。その証拠に、1957年、水難救助の際に「勇気、剛毅、献身」を発揮した人を顕彰する特別の記章が制定されている。

 記章の表には、波を切って泳ぐ人、裏には、鎌と鎚が描かれている。この記章は、本職の救助隊員に限らず、岸辺の通りを歩いていて溺れている人を目にするや一散に駆けつけてその命を救ったすべての人に授与された。

 

2. 処女地開拓記章

処女地開拓記章= D・チェルノフ/ロシア通信処女地開拓記章= D・チェルノフ/ロシア通信

 

 この記章は、ソ連の歴史に関連しており、1955~1965年、国家は、穀物の増産を図り、盛んに処女地(未開墾地)を農地に変えていった。処女地開拓記章(1956年制定)は、主に、処女地の開拓に人一倍勤しんだコルホーズ員や党の職員に授与された。

 もっとも、例外もあり、たとえば、世界初の有人宇宙飛行に成功したソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンも、この記章を受けている。しかも、それは、宇宙飛行後のガガーリンにエンゲルス飛行場で授与された最初の褒賞となり、その後、この記章は、多くの宇宙飛行士にも着陸の場所で授与された。

 

3. 母親英雄

母親英雄=スベルドロフ/ロシア通信母親英雄=スベルドロフ/ロシア通信

 

 第二次世界大戦時、ソ連は、多くの国民を失い、深刻な人口動態学的損失に見舞われた。出生率を上げるべく、政府は、早くも1944年に子沢山の母親を対象とする記章や勲章を制定した。

 子供が多いほど褒賞の格も上がり、たとえば、5人なら母性2級記章、6人なら母性1級記章、7人なら母性名誉3級勲章となる。最高の褒賞は、母親英雄の称号および同名の勲章で、それらは、10人以上の子供を産み育てた人に授与された。

 この母親英雄の称号は、ソ連崩壊の間際まで授与されており、この間に約43万人の中央アジアをはじめとするソ連の女性に贈られた。

 

4. レーニン生誕100年記章    

レーニン生誕100年記章 / タス通信レーニン生誕100年記章 / タス通信

                              

 「レーニンは常に生き、レーニンは常に君と」ソ連には、こんな歌があった。フルシチョフは、スターリンに取って代わり、ブレジネフは、フルシチョフに取って代わることができたが、「世界のプロレタリアートの指導者」は、共産主義の主なシンボル、完全無欠な権威、そして、「極めて人間的な人」であり、その生誕100年(1970年)に因んで特別の記章が制定されたのも、頷ける。

 この記章は、軍人としての献身(軍人)および献身的な労働(軍人以外)に対して授与され、その対象となる人は、「労働の高度な模範を示した、労働者、コルホーズ員、国民経済の専門家、国家機関の職員、科学や文化の活動家」と幅広かった。

 レーニンの記念日に、政府は、気前よく5千人の外国人を含む非常に多くの人に褒賞を授与し、この記章の受章者の総数は、現在のベルギーの人口にほぼ匹敵する1100万人以上となった。もしもソ連が崩壊しなかったなら、ソ連当局は、2020年のレーニン生誕150年を記念する褒賞をどれくらい振る舞ったことだろう。

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