ペレン「運命が日本と結びつけた」

「白い闇」バレエ

「白い闇」バレエ

=報道写真
 ミハイロフスキー劇場のプリンシパル・ダンサー、イリーナ・ペレン氏および夫のマラト・シェミウノフ氏が来日している。在東京ロシア大使館で1月12日に行われるバレエ・ガラに先立ち、ロシアNOWの記者が2人に日本のことをいろいろ聞いた。

-お2人は何度も来日していますが、日本との結びつきはどのようなものですか。

 イリーナ・ペレン 来日した年を数えてみて、すでに人生の半分、日本の舞台で公演していることがわかりました。現在36歳ですが、18歳の時にアカデミー(ワガノワ・バレエ・アカデミー)を出て日本に来ました。これ自体が初来日ではなかったのですが、以来、定期的に日本に来ています。すでに18年間、年に2回は必ず日本に来ています。私の創作の道すべてが日本を通過し、私の創作の人生がロシアと同じ長さで日本で過ぎていきました。

イリーナ・ペレン氏、マラト・シェミウノフ氏=報道写真\n<p>イリーナ・ペレン氏、マラト・シェミウノフ氏=報道写真</p>\n
「メロディー」バレエ=報道写真\n<p>「メロディー」バレエ=報道写真</p>\n
「海賊」バレエ=報道写真\n<p>「海賊」バレエ=報道写真</p>\n
 
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-なぜ日本なのでしょうか。

ペレン そのような運命なのです。サンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場と日本の関係はとても良好で、日本でひんぱんに、マリインスキー劇場よりも多く巡業していました。運命が私を日本と結びつけたのです。

マラト・シェミウノフ このような運命になったのは、さまざまな状況のまれな重なり合いのおかげです。ワガノワ・アカデミーの卒業生の数世代が、18歳で日本の巡業に行っていました。つまり、皆にとって初めての大きなツアーで、ホテルに滞在し、飛行機で移動し、初めて出演料を受け取ったのです。イリーナも1998年に同じように巡業しました。これは初めての日本訪問ではありませんでしたが。私も2001年に同じように日本に来ました。

 

-日本の印象はどうでしたか。

ペレン 1991年に初来日しました。バレエー・アカデミーに入ってまだ2年目の10歳でしたが、生徒として来ました。これはロシア・バレエ・アカデミーの初めての日本巡業でした。すべてが驚きでした。当時は今よりもコントラストがはっきりしていましたから。私たちは子どもで、人形で遊んでいましたが、今はこうして自分の娘と来ています。娘も人形遊びをしています。日本は私たちにとって母国なんです。

 

-感銘を受けているロシアのバレエ・ダンサーは誰ですか。

ペレン 好きなダンサーはたくさんいました。皆私たちより年上ですけど。アーラ・オセペンコ、オリガ・モイセエワ、ガヴリエラ・コムレワ、スヴェトラーナ・エルフェモワなどのロシアの名バレエ・ダンサーと練習し、役づくりできたのはとても運が良かったです。そして私のアカデミーの先生でキーロフ劇場(ミハイロフスキー劇場の以前の名称)のバレリーナであるタチヤナ・ウダレンコワ。これらの人々との交流はいつでも感動的で、学び取ろうと努力します。ニキータ・ドルグシンとも劇場でたくさん作業しました。これらの人々は手本であり、ロシア・バレエのアイコンです。

シェミウノフ ソ連バレエの水準は非常に高く、残念ながら、現代のダンサーによって到達されてはいません。もちろん、多くの原因があります。ソ連の指導者の責任感や芸術への奉仕の度合いは著しく高かったです。私の最初のアカデミーの指導者はマリーナ・アンドレエヴナ・ポメランツェワとユーリー・ミハイロヴィチ・ナイディチでした。2人は1930年代にマリインスキー劇場でキャリアをスタートし、アグリッピナ・ワガノワから教えてもらっていました。ロシア・バレエのレジェンド、アーラ・シェレストも同様です。2人が私に紹介してくれた指導者です。

 

-注目している日本のアーティストはいますか。

シェミウノフ 私たちは坂東玉三郎さんが大好きです。私たちは日本文化を勉強していて、歌舞伎を愛しています。残念ながら、私にとってこの世界は閉ざされています。歌舞伎の深い知識を得るのに必要なことが無限にあるのです。私がたとえ表面的でも見れることは素晴らしいことです。最高水準の技能です。

ペレン ミハイロフスキー劇場のバレエ団と、日本のゲスト・バレリーナの草刈民代さんは、ひんぱんに共演していました。草刈さんが女優でもあるというのはとても興味深いです。

シェミウノフ 日本の人のいないバレエ団はありません。私たちのバレエ団にも常にとても優れた日本人のバレリーナやダンサーがいました。

ペレン 確かに、非常に多くの日本の人がワガノワ・アカデミーで学んでいます。その後ロシア、母国の日本、全世界でプロになっています。

シェミウノフ 日本の人によるロシアのバレエ技能の受け止め方で感動していることがあります。それは自分の活動に忠実で、常に学んでいることを吸収できることです。勤勉さを見習うべきです。

 

 

-日本でこれほどバレエ人気が高いのはどうしてだと思いますか。バレエ学校は日本にとてもたくさんあります。

ペレン たくさんバレエ学校があるのは、私見ですが、バレエ分野の国家的な統一教育システムがないからかもしれません。たとえば、ロシアには生徒が無料で学べるワガノワ・アカデミーがあります。

 

-なぜ日本でこれほどバレエが普及したのだと思いますか。

ペレン 日本のお客さんはクラシック、「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」のような古典的な演目をより好んでいるように思えます。なぜかはよくわかりませんが、このようなハイテクな世界では歴史や伝統をより大切にしたくなるのではないでしょうか。だからクラシック・バレエを好んでいるのかもしれません。

 

-日本向けにレパートリーを調整したりしていますか。

ペレン 日本のお客さんはクラシックが好きなので、私たちのレパートリーには非常にたくさんの現代バレエがありますが、クラシックを多く選ぶようにしています。

シェミウノフ それでも、私たちはクラシック・バレエの巡業にたくさんの現代の演目を入れることができたのです。そして常に需要があります。元芸術監督ニコライ・ボヤルチコフの短劇もそうです。2003年、イリーナはボヤルチコフのバレエでかぐや姫の役を演じることができました。

ペレン すべての巡業に「白鳥の湖」が多数回含まれています。日本の人はチャイコフスキーの音楽が好きです。

 

-「かぐや姫」の演目についてお話しされましたが、それは日本で上演されたのですか。

ペレン これはサンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場でも日本でも上演されました。どこでも大盛況でした。

 

-指導者が高齢化しているのならば、バレエの未来はどうなるのでしょうか。代わりの若い世代はいますか。

シェミウノフ 未来はあります。独自のバレエ学校を開校し、日本の学生向けにロシア美術館、エルミタージュ美術館、マリインスキー劇場、ミハイロフスキー劇場、そして私たちのバレエ・クラスを見学する、特別なサンクトペテルブルク・ツアーも企画したぐらいです。

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