アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「アンドレイ・ルブリョフ」
鐘が人間に及ぼす驚くべき影響については紀元前のはるか昔からよく知られているところである。歴史家でもあり、モスクワのクレムリンおよび救世主大聖堂の鐘楼守(鐘つき人)であるコンスタンチン・ミシュロフスキーさんはロシアNOWからの取材に対し、その理由は簡単だとして、鐘というのは打音と長く響く音という相反する2つの性質が組み合わさったものだからだと説明する。
「鐘を聴く人々は突如として発せられる音とその瞬間の後に続く響きの深さと複雑さに感銘を受けるのです。これは夢からの覚醒のようなものです。眠っていた人が急に目を覚ますと、全世界がその人の前に溢れだし、自らの生命を生き始める。つまり生命の始まりの瞬間です。だからこそ鐘は重要な教訓的な意味を持っているのであり、だからこそキリスト教においても素晴らしいものとして受け入れられているのです」
ロシア正教の礼拝の一部でもある鐘は、レフ・トルストイやフョードル・ドストエフスキーが一度ならず書いたロシア人の気質のもっとも深い部分にあるとされる「総体主義(ソボルノスチ)」というロシア正教特有の概念の本質ともなった。村では誰も孤立して生きていくことはできず、あらゆることが人々の団結のもと行われた。総体主義というものは、鐘の生涯のすべての段階に現れている。人々を教会に集めるために造られ、礼拝のときには人々をひとつにし、その間、俗世のすべてのことから隔絶する。
また鐘を造るためには何十人もの専門家が必要とされたため、その多くの人々が一致団結して鐘づくりを行った。皆でともに鋳造し、鐘の音が鳴り響くなか皆でともに礼拝で祈りを捧げ、皆でともに最後の旅路を見送った。皆でともに鐘を撞くこともあった。19世紀の音楽評論家ステパン・スモレンスキーは次のような文章を残している。
「ひと撞き目の鐘の音が響く。驚くほど柔らかく静かな音だ。その鐘の音がモスクワ中に合図を送る。するとその5〜6秒後には管区内のすべての教会の鐘が鳴り始める。その響きは考えられないほど力強い。この力の中に何もかもが消える。耳をつんざくような、圧倒するような、正真正銘の盛大さだ。そんな音楽を聴くことができるのはロシアだけである」
ロシアの鐘の音は、事実、他のどんな鐘とも大きく異なっている。たとえばヨーロッパの鐘は通常、普通の楽器と同じように正確な音調になるよう調律する。しかしロシアでは音の複雑さに手を加えず、ひとつひとつの鐘の個性を大切に残す。
「トレズヴォン」と呼ばれるすべての鐘を打ち鳴らす鐘の奏法
18世紀から19世紀にかけて、教会の規範で定められた特殊な決まりごととともに、こうした響きの特性から、「トレズヴォン」と呼ばれるすべての鐘を打ち鳴らすロシア独特の鐘の奏法が確立された。それは大きな鐘を規則正しく打つのと同時に、音楽的なニュアンスを加えることができる中型、小型の鐘を鳴らすというものだ。
ミシュロフスキーさんは続けて次のように話す。「十字架行進が行われているところを想像してみてください。わたしはその行進に合わせて鐘を鳴らします。その行進がどれくらい続くのかわたしには分かりません。すぐに終わるのか、ゆっくり続くのか。しかしわたしは、十字架行進が教会に辿り着くと同時に鐘を撞くのを止めなければなりません。ですから鐘の音は15秒鳴らすときでも、半時間鳴らすときでも、どの瞬間も美しくなければならないのです。オーナメントのついたリボンのようにです。つまりわたしは小さな刺繍を施すこともできれば、長い刺繍を作りあげることもできるのです。そして必要なところでそのリボンを切るわけです」加えて、鐘には完璧な組み合わせというのはありえないという。「澄んだ」鐘と言われるもっとも音調が整ったロストフの鐘楼にさえ、他の鐘にはまったくそぐわない鐘がひとつある。しかし経験豊かな鐘楼守なら、その鐘の音さえもすべての鐘の響きの中に美しく織り交ぜることができる。まるで鐘の音にスパイスを加えるかのように。そしてその響きは毎回違ったものになる。鐘の鳴らし方は二度と繰り返されることはないのである。
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