パンク画家、現代をえぐる

ワーシャ・ローシキンの絵
 ロシアのインターネット・セグメントにおける最大の人気画家、ワーシャ・ローシキン。その作品には、ロシア的メンタリティのあまり誉められない部分が写し取られている。「可愛い」猫の隣には、吸血鬼や、気の狂った老婆らの姿がある。

 ワーシャ・ローシキンは現代ロシアにおける非公式「アート・スター」の一人である。名のある絵画賞にノミネートされたこともなければ、トレチャコフ美術館に出展されたこともない。かわりに、ソーシャルネットは彼の作品で一杯であり、各作品に千単位のリポストがついている。その芸術言語は誤解の余地なく判読可能であり、込められた寓意はロシア人なら誰でも理解できるようなものだ。もっとも、それを記述することは、アネクドート(風刺小話)を解説することと同じく、無粋なことだ。

 

ロシアの現状に対する風刺

 彼の絵の主人公は、赤毛の猫と、プラトークをかぶった意地悪婆さんだ。前者はネットの人気者。買い手もつき、「購買行為による投票」で支持を表明している。後者は、これはロシアの民話に出てくる悪い魔法使い「バーバ・ヤガー」を受け継いだものか、それとも、そこには「性格の悪い隣人」という集合的なイメージが結晶しているのか。ほかに、ローシキンの世界には、クマ、ウサギ、ブタ等のけだもの、または無精ひげの酔漢や、様々な吸血鬼が住人となっている。

 そこにある世界は、危険に満ちたものであり、およそ住みたいとは思えないようなものである。恐ろしいような醜男・醜女が石油の海で泳いでいる。嘲笑している。酒をくらっている。拳を振り上げている。これらは、時代の現状への悪意ある風刺として目に映る。人間の罪過を、経済制裁を、政治的自由の欠如を、ソビエト時代の遺産をわらう風刺。ローシキンの絵の舞台となる架空の町、コブィロザドフスク=「雌馬尻」市の中には、ロシアの僻地にあるいずれの小村をも見つけることができそうだ。

「外国―祖国」=ワーシャ・ローシキン「外国―祖国」=ワーシャ・ローシキン

 外国人にはたいていの絵が理解困難かもしれない。時にローシキンはアフォリズム、アネクドート、映画の台詞、ソビエト時代のプラカードのスローガン、またはあらゆるロシア人がそれを聞くだけで口が酸っぱくなるような決まり文句を、直接的にイラストしてみせる。たとえば三幅対「外国ー祖国」。多色で描かれているのは幸せな「祖国」。宇宙船の飛ぶ空の下、白樺の木のもとに、赤いルバーシカを着たクマの一家が描かれている。一方の「外国」は有刺鉄線の向こう(外国zagranitsaの原義は「境界の向こう側」)にある、悪魔たちの跋扈するモノトーンの地獄として描かれている。

 他方に「普遍的」なカテゴリーに属する諸作品もある。浴びたくもないシャワーを浴びて洗いたてピカピカの猫が暗い目つきで前方を睨む「復讐するは我にあり」や、「ニャントラー総統の肖像」などがそれだ。それらは時に(クマの母子がつぎはぎだらけの毛布で眠る「穴ぐら」のように)叙情的ですらある。

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アーティストは法律家?

 本名をアレクセイ・クデリンという。頭の禿げた、眼鏡をかけた、髭づら。その風貌はインテリの、ドクターまたはプロフェッサーといったところ。歳は40。学位は法学士だが、職種は自称、「描けない画家、楽譜を読めない音楽家、文才に自信のないブロガー」だ。もっとも、音楽は幼い頃からやっており、義務教育を終えるとすぐにパンクバンドを結成した。しかし人気の芽はそこでなく、画業から出た。ローシキンは「絵画におけるパンク」をもって自任する。

 「ワーシャ・ローシキン」はLiveJournalブログで10年前から使っているニックネームである。ネットに魅入られたアーティストは、ギャラリーから何度目かの展示拒否を受けたことをきっかけに、絵の投稿を始めた。ローシキンはインターネットではじめて名声を手に入れた。キャンバスに水彩で描かれた作品たちが電子化された生を生きはじめ、新たな買い手が見出され、ここ数年だけで5枚の音楽アルバムが世に出、モスクワの中央芸術家会館(TsDKh)をはじめ、ロシア全土のギャラリーで展示が行われ、プラハにはローシキンの猫の絵で壁が埋め尽くされたナイトクラブがオープンした。

ワーシャ・ローシキン=アレクサンドラ・ムドラツ撮影/タス通信ワーシャ・ローシキン=アレクサンドラ・ムドラツ撮影/タス通信

 ローシキンはあらゆるインタビューで口を極めて、ファンや批評家を喜ばせたり、驚かせたり、怒らせたりするような政治的・社会的その他の内幕を否定している。彼の描くイメージの中に、ロシアのすべてを表現しよう(そして、貶めよう)とする試みなどは存在しない。各人が、図像の中に、その見たいと思うものを見るのである。ローシキンに関心があるのは、人間の狂気であり、精神異常であり、愚かさであり、幻覚であり、限界状況であり、魂の知られざる片隅であり――、いわば狂人の目で見た世界なのである。

 

自らを描く

 作品に描かれる人物等に具体的なモデルはいない。あらゆる登場人物が、ローシキン自身を写したものだ。文字通り、鏡を手に取り、顔をしかめ、線を誇張すれば、大判の自画像がひとつ出来上がる。

 もうひとつの源泉は、近郊列車。昔モスクワ郊外の小さな町、ソルネチノゴルスクに住んでいたころ、自身よく利用した、あの近郊列車だ。当時彼は、スケッチ帳を持ち込み、面白いと思えるイメージが出来上がると、その人物のための筋書きを考えていた。

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 唯一、何の触媒もなしに自ら生まれ出てきたのが、猫だ。猫は民衆のけだものであり、ロシアの田舎の家では、ほとんど一家に一匹と言えるほどの割合で住んでいる。

 ローシキンの自己規定によれば、彼の絵のジャンルは「現代版ルボーク」である。ルボークというのは、楽しい、または教訓的な要素のある、わかりやすい筋書きを描いた、大衆向けの版画である。描き方は素朴で、説明の言葉が添えられている。ローシキンの絵は、本質的に、民話なのである。それも、本人によれば、ハッピーエンドの民話。たとえ、絵の中の醜怪な相貌を一目見ただけでは、にわかにそれを信じがたいとしても。

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