伝統的に、祭最終日の日曜日「謝罪の主日」には、マスレニツァのかかしを焼く。現在、これは完全に根付いた儀式となっており、これによって冬を見送り、春を迎える。ロシア中央帯(モスクワを中心とした隣接する州の集合体)ではこれが普通であったが、他の地域では葬列のパロディが行われていた。参列者はかかしを桶や特別な棺に入れてかつぎ、村中を歩いた。パロディ葬列には仮装した司祭(祭服を着てウールのヒゲをつけた女性)、輔祭と下僧、泣男と泣女のグループが参列した。
ヨーロッパとアジアの境い目に位置するスヴェルドロフスク州のタヴダ川流域の村では、災難清浄の儀式のパロディである、「風呂」で洗浄、を住民が行っていた。住民は路上で服を全部ぬぎ、皆の見ている前で、気どってチャストゥシカ(俗謡)を歌いながら、お風呂で体を洗う真似をした。
モスクワの北450キロに位置するヴォログダ州では、19世紀末ごろまで、女性がブリヌィを自分の三つ編みに編みこんで、髪の毛を飾っていた。このようにすれば悪霊から身を守ることができ、さらに手の器用さで未来の花婿を魅了できると考えられていた。一部の村ではもう少し気楽に行われていた。古代ルーシの頭飾りココシニクをブリヌィで飾っていた。
マスレニツァでは花嫁の独特なお披露目が行われていた。花嫁を門柱のところに立たせて、皆にキスをさせ、雪の中に「埋める」か雪をかけるかしていた。花嫁がソリで村を走っていると、それを止め、古い靱皮靴や麦ワラを投げた。時に、村人の誰でも新婚の家に行き、花婿か花嫁にキスできる、キスの儀式も行われていた。
前回のマスレニツァから1年の間に結婚しなかった、つまり主要な責任を果たさなかった男性と女性は、罰せられた。木材、枝、帯といった重いものを足に結びつけたり、首にかけたりして、1週間ずっとその姿で歩かせた。枷(かせ)を外すには、男女が金を払うか、マスレニツァのごちそうをふるまうかしなければならなかった。
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