オレンブルク·ショール10の事実

ナタリア・スデツ撮影/Strana.ru
 柔毛ショールを最初に身につけたのは、キルギス・カイサク族のオルダの騎兵。ウラル山脈の厳寒から身を守っていた。実用性と高い技能を組み合わせたのはオレンブルクで、ショールをロシアのシンボルの一つにした。

 1.ショールの「女性」の時代が始まったのは18世紀。レースと刺繍を知っていたウラルのコサックは、蜘蛛の巣と呼ばれた、柔毛の透かしスカーフを編むようになった。この手芸はオレンブルクとほぼ同時に発祥した。

 2.この手芸は科学的な考察から手工業になった。民族誌学者ピョートル・ルィチコフは柔毛の治効特性に注目。1766年、同地に柔毛編みの手工業を始めるよう提案した。

 3.オレンブルク・ショールの「ワールド・プレミア」は19世紀半ばにパリで行われた。1862年ロンドン万博で、オレンブルクのコサック、マリヤ・ウスコワが、ヤギの毛のショールで金メダルを獲得した。

 4.オレンブルク・ショールの主な秘密は、特別な柔毛。世界で最も細い16ミクロンである。ちなみに有名なアンゴラ・ヤギは22~24ミクロン。ウラル山脈のステップで放牧されているヤギの毛は最も細い。 

Strana.ru撮影

 5.オレンブルクのヤギを繁殖させる試みは19世紀、フランス、南アメリカ、オーストラリアで行われたが、うまくいかなかった。ボルガ川流域のこの偶蹄類にとって、温暖な気候には厳しさが足りず、退化してしまった。

 6.オレンブルクのヤギの柔毛は、ロシア帝国の輸出品目の一つであった。数万プードをフランスが輸入していた。イギリスでは、「オレンブルク模倣品」なるショールまでつくられた。

 7.ソ連では、本物のオレンブルク・ショールは博物館の珍品であった。手編みのショールを購入することは、ほとんど不可能だった。1985年まで工房は登録制で、製品は輸出されていた。

Lori/Legion Media撮影

 8.最大のショール3.6㍍x 3.6㍍が2013年にオレンブルクの工房でつくられ、13.5キロの柔毛糸が使われた。それより以前の記録は、ほぼ90年前に樹立されたものである。ジュルトエ村の聖歌隊の指揮者エルモライ・フョドロフは、1000目のショールを手編みした。

 9.ロシアを訪れた、たくさんの有名人が、ショールの所有者になった。中にはモンセラート・カバリェ、アニー・ジラルド、マドンナ、ファーギー、ショーン・ヤングなどのスターがいる。

 10.オレンブルク・ショールは結婚指輪の中をすり抜け、ガチョウの卵に入る、というのは本当だが、これは本物か否かを確かめるテストではない。これは有名な蜘蛛の巣についての話である。より重量のあるオレンブルク・ショールは指輪をすり抜けない。その代わり、寒い時には、より暖めてくれる。

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