ドストエフスキーの三つの恋

2015年7月28日 RBTH
作家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821~1881)の恋は、彼の作品のそれに酷似しており、複雑怪奇で緊張と心理的葛藤に満ちている。彼が愛する女性に自分を捧げつくしたのも作品と同じだが、この不安な作家の魂に平和と調和をもたらしたのはたった一人だった。
作家フョードル・ドストエフスキーの恋は、彼の作品のそれに酷似しており、複雑怪奇で緊張と心理的葛藤に満ちている。=写真提供:Ullsteinbild / Vostock-photo
作家フョードル・ドストエフスキーの恋は、彼の作品のそれに酷似しており、複雑怪奇で緊張と心理的葛藤に満ちている。=写真提供:Ullsteinbild / Vostock-photo

初恋

 ドストエフスキーの初恋は、ペトラシェフスキー事件への連座で懲役刑に処せられた後のことだ。ちなみに、19世紀の作家でこのような罰を受けたのは彼一人のみ。当時の彼は、4年間の自由剥奪と厳しい労役で苛まれて健康を損ねており、これほど、女性の温かみと心遣いに餓えていたことはなかった。

 ちょうどこんな時、幸か不幸か、彼の前に現れたのが、マリア・ドミートリエヴナ・イサーエワ(1824~1864)だった訳だが、二人の関係は相当な紆余曲折を辿った。マリアは当時結婚しており、夫は病弱で、息子もいた。が、ドストエフスキーはすっかり惚れ込み、じっと待ち、ついに待ちおおせたのである。マリアの夫が亡くなると、作家は、日々の糧にも事欠くありさまだったのに公然と求婚した。

マリア・イサーエワ=写真提供:ロシア通信

 ところが、この遅すぎた初恋は、作家に次々に難題を突きつけた。恋人は彼を試し始めたのだ。マリアは、どんな金持ちの年寄りと結婚したらいいかと“相談”する手紙を寄こし、彼を苦しめた。彼は、有名な賭博狂ではあったが、恋愛ゲームはやったことがなかったのである。

 それでも二人は結婚したが、作家はマリアにとって、夫というよりも“兄”のままで、ついに精神的にも肉体的にも調和することはなかった。

 20世紀最大のロシアの文学者の一人、マルク・スローニムは、自著『ドストエフスキーの三つの恋』の中でこう書いている。「ドストエフスキーが彼女を愛していたのは、彼女が呼び起こした感情のためであった。そして、彼が彼女に与えたすべてのため、彼女と関係あるすべてのため、要するに、彼女が彼にもたらした苦しみのためだった」

 マリアは長く結核を患った末、1864年に亡くなった。夫婦を結び付けていたのは、互いの苦しみであり、清澄な感情ではなかった。

 『虐げられた人びと』のヒロイン、ナターシャのモデルは彼女だ。ナターシャは、絶え難いほどに相手を苦しめつつも、無言のうちに愛しているのである…。

 

永遠の愛の劫火

 若い女子学生アポリナリア・スースロワ(1839~1918)とドストエフスキーが出会ったのは、作家の朗読会の夕べにおいてで、彼は42歳、彼女は22歳だった。彼女は、マリアに無かったものを彼に与えた。文学趣味と情熱的な性愛を作家と共有した彼女は、大人しくも優しくもないどころか、彼を怯えさせると同時に誘惑するアマゾネスだった。

 ところが作家は、彼女の欲するものを与えることができなかった。彼はまだマリアと結婚していたので、二人の関係は隠さねばならなかったからだ。その結果、彼女はしばしば彼を“裏切り”始め、最大2年間の別離の期間を挟むこととなった。その後の彼女はもはや、何度でも彼のもとに帰る気のある、若い未経験な娘ではなくなっていた。彼女は彼に、あなたとは結婚しない、と冷然と告げた。

アポリナリア・スースロワ=wikipedia.org

 おそらく、アポリナリアほどドストエフスキーの心に痛みを与えた女性はあるまいが、他ならぬ彼女が彼の魂に永遠の刻印を押したことは否定し難い。「彼は、彼女の名前を聞くと、びくりと震えた。若いアンナ夫人にか隠れて、文通を続けていた。そして、自分の作品のなかで何度でも彼女を描くのだった。最期の日にいたるまで、彼女から受けた愛撫と打撃の思い出を心に秘めていた。彼は永遠に――心と肉体の深みにおいて――この魅惑的で残酷で不実で、そして悲劇的な恋人に忠実であった」。スローニムはこう書いている。

 アポリナリアがドストエフスキーの人生のあらゆる面に痕跡を残したのと同じく、事実上すべての作品に、この永遠の恋人の面影を見出すことができる。『罪と罰』の自己犠牲的なドゥーニャには、どこかアポリナリア的なところがあるし、情熱的で魅力的なナスターシャ・フィリッポウナ(『白痴』)にも、誇り高く神経質なリーザ(『悪霊』)にも、その面影の幾分かが分かち与えられているが、アポリナリアが完全にモデルになったヒロインはといえば、『賭博者』のポリーナだ。

 

幸福な愛 

 アンナ・グリゴーリエヴナ・スニートキナ(1846~1918)はもともとドストエフスキーが雇った速記者で、『賭博者』(1866)の執筆を助けた。作家は未来の妻より25歳年長であった。この共同作業は、彼らを夢中にさせ、期日が過ぎた時には、二人はもはや別々の生活など考えられなかった。こうして1867年、アンナは作家の妻となる。

 アンナ・スニートキナ=写真提供:ロシア通信

 それしても、『賭博者』という小説は作家にとって何だったのだろう?彼がヒロインとして選んだのは、一見してそれと分かるアポリナリアで、これを書いたのは、マリア夫人の死からまだ間もない頃。そして、それを口述筆記させた相手が未来の妻アンナ。

 初めのうち作家は、アンナとの結婚生活に、どちらかというと“実際上の必要”を感じていた。彼には生活の安定と堅固な足場が必須だったからだ。で最初、この結婚は、作家の以前の女達との関係を思わせるところもあったが、アンナは、他のどの女もなし得なかった一歩を踏み出す。家族の保護を買って出て、雰囲気を帰るために外国に行こうと言い出した。

 結婚1年後、娘が生まれ、作家は溺愛したが、間もなく、この幸福な家庭を大いなる不幸が見舞った。幼いソーニャが死んでしまったのだ。しかしその後、3人の子供が生まれた。

 二人の14年の結婚生活には、苦しみも少なくなかった――二人の子供の死、夫の嫉妬と賭博狂…――、だが、彼女は決して自分の運命を嘆くことはなく、最後まで忠実な伴侶であり続けた。

 だからこそアンナは、ドストエフスキーがあるがままに受け入れ、人格改造しようなどとは思わなかった唯一の女性だったのかもしれない。彼女への愛は、作家の人生で最も幸福で調和に満ちたものとなった。

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