サハリンの朝鮮系住民たち

バルト・ヘルマン/AP通信撮影

バルト・ヘルマン/AP通信撮影

ロシア極東の石油とガスの豊富な島には、ロシア社会に同化している大きな朝鮮人コミュニティがある。

 日本人がサハリン島南部の海岸から船で去った1940年代後半、20世紀初頭の地政学の結果として生みだされた人的問題が残った。日本にもソ連にも属していなかった多くの人が、南サハリンに取り残された(1905年から1945年まで南サハリンは日本統治下にあった)。朝鮮民族は強制労働者として南サハリン(樺太)に連れてこられた。島を去る日本人は朝鮮人を自国民として受け入れることを拒み、さらに朝鮮半島の不安定さがコミュニティを中ぶらりんの状態にした。 

 時が2015年に進むと、石油と天然ガスの豊富な島はその模範的な少数民族を誇っていた。4万人強からなるの朝鮮人コミュニティのほとんどのメンバーは、ロシアの市民権を持ち、島の文化的生活および社会に完全に融合している。サハリンでは朝鮮系の郵便局員、ビジネスマン、官僚、さらには税関員や入国管理官を見ることができる。

 朝鮮料理はまた、おいしい海産物で知られる島の料理にスパイスを加えた。ほとんどの店で伝統的なロシアの惣菜とともに、辛い朝鮮漬けが販売されており、朝鮮人以外のさまざまな人もキムチやスパイシーなサラダを購入している。サハリン州の行政中心地ユジノサハリンスクには、それなりの数の朝鮮料理店もある。ただ、韓国からの訪問者の中には、この料理が本物の朝鮮料理には程遠いと言う人もいる。

 朝鮮系の若者はすでにロシア語を母国語としており、朝鮮語となると片言だ。多くは第二外国語として、グローバルな可能性を開く英語を選ぶ。ユジノサハリンスクの学校の多くで第二外国語として朝鮮語が教えられているが、使う機会が少ないために、生徒は卒業すると忘れてしまう。

 「彼らが朝鮮人である部分は血だけ」と話すのは、サハリン国立大学の元留学生で、ユジノサハリンスクに5年暮らした後、地元の韓国・釜山に戻った韓国人のトミー・ルーさん。「彼らの多くは朝鮮料理すら食べず、考え方も完全にロシア的」と語りながら、これを悪いことだとは思わないとつけ加えた。

 現在サンクトペテルブルクに暮らしているオレグ・キムさん(45)は、ソ連で育ったため、まわりの人には簡単に「固有の朝鮮性とは異なる、共通のアイデンティティ」を持った人と認識してもらえるという。キムさんは他の多くのサハリンの朝鮮人のように、お印程度とも言える簡単な兵役に就けたという。

 

アイデンティティに悩む

 オクサーナ・リさん(28)のように、アイデンティティに悩む人も存在する。リさんは「自分を見つける」ためにソウルとモスクワに暮らした。その結果、一番快適な多民族のサハリン島に戻ることとなった。「韓国ではあまりにもロシア人的、モスクワではあまりにも韓国人的だった」とリさん。2002年日韓ワールドカップでロシアが日本に敗退した際、モスクワではアジア人に対する暴動が発生したが、その時リさんは言葉による攻撃を受けたという。「ロシア人であると感じることが止み、サハリン人だと感じることが始まったのはこの時」

 一般的に勤勉であると考えられている朝鮮人コミュニティの人々は、南サハリンの貿易やビジネスで圧倒している。「それは彼らがディアスポラを形成し、資金的にお互いをサポートしているため」とセルゲイ・ダニロフさんは、なぜ島には最初の5つ星ホテルを含む朝鮮人の経営する大きな企業がいくつもあるのかとの質問に答えた。ダニロフさんはユジノサハリンスクのビジネスマン。サハリンの朝鮮人の多くが、島で活発な布教活動も行っている韓国の同胞から資金援助を受けているのだと説明した。

 石油・ガスブームが起きる前にサハリンを去ったキムさんは、ダニロフさんとは異なる意見を持つ。「サハリンには現在、大きなアゼルバイジャン人コミュニティやタジク人コミュニティがあるが、なぜなかなか成功できていないのか」。一部のロシア人が裕福な朝鮮人を妬むのは「普通の現象」だが、サハリンには高い忍耐と受け入れの気持ちがあると、キムさんは説明した。

 「必要な時、サハリン人は一致団結できる」とキムさん。

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