初版を徹底的に改作
「白鳥の湖」が初めて披露されたのは1877年3月4日。ヴェンツェル・ライジンガー演出の作品がボリショイ劇場の舞台で上演された。だが成功しなかったため、演目から削除された。
バレエマスターのマリウス・プティパは1890年代初め、チャイコフスキーとともに台本を書きなおし、また作曲家リッカルド・ドリゴとともに総譜を書きなおした。プティパはまた、レフ・イワノフとともに振り付けした。
初演は1895年、サンクトペテルブルクの有名なバレリーナであるピエリーナ・レニャーニのベネフィス公演の日に行われた。
「チャイコフスキーの素晴らしい音楽と、プティパ、イワノフの演劇的な振り付けの相乗効果によって、このバレエの奇跡が生まれた」と、マリインスキー劇場情報出版部のオリガ・マカロワ編集長は説明する。
現代の演出は当初のものからかなり変わっている。19世紀末の古典舞踊では、男性は複雑なジャンプをしていない。優雅な姿勢を維持しながら美しく舞台の上を歩き、必要に応じてバレリーナを支えるのが主だった。バレリーナも少し違っていた。衣装は今よりも露出の少ないものだった。舞台で足を高く上げることもできなかった。当時これは下品と考えられていたため。
時代とともに様々な筋書きが登場
バレエの筋書きはしばしば見なおされた。例えば、1930年代、バレエのレジェンドであるアグリッピナ・ワガノワは、台本を完全に変え、社会的な演出にすることを決めた。ロッドバルトはバレエで邪悪な魔術師ではなく、自分の娘を玉の輿に乗せようとする零落した男爵になった。最後、オデットはロッドバルトに銃殺され、ジークフリートは剣で自殺した。
1950年、振付師コンスタンチン・セルゲーエフの新版が登場し、初めてハッピーエンドになった。それより前には最後のシーンで湖の荒波がオデットとジークフリートを飲み込んでいたが、ジークフリートが魔法使いとの決闘で勝ち、翼を奪い、悪の権力が終わるようになった。これは現在でもマリインスキー劇場で上演されている。
白鳥の湖のこれまでの上演回数は、現時点ですでに1757回。偉大なるジョージ・バランシンは、白鳥の湖をロシア・バレエの名刺と呼び、「すべてのバレエが『白鳥の湖』と呼ばれるべきだ。これはチケットの販売促進と盛況を保証する」と話した。オデット・オディールのパートは、アンナ・パブロワ、ガリーナ·ウラノワ、ナタリヤ・ドゥジンスカヤ、マリーナ・セミョノワ、ウリヤナ・ロパトキナ、ディアナ・ヴィシニョワなどの優れたバレリーナが演じている。
ソ連8月クーデターのシンボル
「白鳥の湖」は1991年のソ連8月クーデターのシンボルの一つになった。8月19日、ラジオではクラシック音楽のみが流れ、テレビでは白鳥の湖がくり返し、くり返し放映された。そのような現象はかつて、ソ連の最高指導者が死去した時にだけ起こっていたが、その日はクーデターが行われた。ミハイル・ゴルバチョフをソ連大統領の座から引きずり降ろそうとする試み、「新連邦条約」の調印失敗などすべてが、チャイコフスキーの音楽によって覆い隠されていた。
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