リフチャクの家=写真提供:Wikipedia
リフチャクの家、ウリヤノフスク市(4 Ul. Arhitektora Livchaka, Ul'yanovsk)
建築家フョードル・リフチャクが1914年、自分の家族のために建てた家。自由にファンタジーをめぐらせていたリフチャクは、インテリアの部品から家具までのすべてを設計した。
馬蹄形の大きな窓、湾曲したポーチの持送り、陶製パネルなどのヨーロッパのアールヌーボーの特徴と、ロシアの民話「火の鳥」が描かれた1階の窓のフリーズなどの中世ロシアの伝統的な要素を兼ね備えている。リフチャクは建築の際、耐火・中空コンクリート・ブロックという自分の発明を試用した。
家は改修され、12月にリフチャク博物館として開業した。
リャブシンスキー邸、モスクワ市(6 Ul. Malaya Nikitskaya, Moscow)
リャブシンスキー邸=Lori/Legion Media撮影
モスクワ・モダンの最高例の一つ。銀行家でロシア初の自動車工場の創業者であるステパン・リャブシンスキーの家。1900年から1902年の家の建設に携わったのは、当時もっとも成功していた建築家フョードル・シェフチェリ。
建物の正面というものがなく、それぞれが表現豊かで、不規則な形状、異なるサイズの入り口、バルコニー、窓には、錬鉄製の装飾格子がある。ヨーロッパの建築家と同様、シェフチェリは自然界から受けたインスピレーションを描いた。建物の外部をアヤメのモザイク・フリーズで囲み、内部の天井をヒトデやカタツムリ、暖炉をトンボの女性で飾り、ホールをクラゲ・ランプで照らした。また波をモチーフにした人工大理石の階段でインテリアのクライマックスを演出した。
ロシア革命後、この家にはソ連の作家マクシム・ゴーリキーが暮らした。現在はゴーリキー記念館となっている。
ホテル「メトロポール」、モスクワ市(2 Teatral'nyi Proezd, Moscow)
ホテル「メトロポール」=ヴィターリイ・ベロウソフ撮影/ロシア通信
当時の人々はこの建物を「新様式のマニフェスト」と呼んでいた。実業家でメセナのサッヴァ・マモントフが建築を始めたが、すぐに破産したため、建物は当初の構想よりも控えめになっている。主な建築家はレフ・ケクシェフ。モスクワの地区を丸ごとモダン建築に変えた人物である。
小尖塔のある波状のファサードは、空を背景に表情豊かなシルエットをつくる。ファサードの主な装飾は、ロシア・モダン最高の芸術家によってマモントフ工場で製作された陶製パネルで仕上げられている。中央にはミハイル・ヴルーベリの絵「幻の王女」(エドモン・ロスタンの演劇)、両側には「神への礼拝」、「泉の精の遊泳」、アレクサンドル・ゴロヴニンおよびセルゲイ・チェホニンのスケッチをもとにしたパネルがある。
半裸の女性像のある彫刻フリーズ「四季」は、ニコライ・アンドレーエフの作品。
「シンガー」社館、サンクトペテルブルク市(21 Naberejnaya Kanala Griboedova, Saint-Petersburg)
「シンガー」社館=Lori/Legion Media撮影
アメリカの「シンガー」社ロシア法人のこの建物は、1902年から1904年に建てられた。シンガーはニューヨークの摩天楼のスタイルで11階建ての建物を建設することを計画していたものの、サンクトペテルブルクでは冬の宮殿(23.5メートル)よりも高い建物の建設が許可されていなかったため、設計の修正を余儀なくされた。
とはいえ、ロシアの建築家パーヴェル・シュゾルがエレガントな解決策を考案。基準を超えない6階建てでありながら、先端にガラス製の地球儀のある塔をつくり、高さを演出した。
建物は商業施設、金融機関、オフィスのある、ロシア初のビジネス・センターであった。建築装飾は折衷とモダンの特徴を兼ね備えている。
鉄道駅、ウラジオストク市(2 Ul. Aleutskaya, Vladivostok)
イーゴリ・ミハリョーフ撮影/ロシア通信
モスクワ、サンクトペテルブルクとウラル、極東を結ぶシベリア鉄道の完工が間近だった1910年、ウラジオストクの駅の外観を、建築家フョードル・シェフチェリがモスクワに建てたヤロスラヴリ駅に似せることが決定した。両建物はモダンのロシア版であるネオロシア様式の実例である。
ワイドなアーチ、狭い銃眼、塔、高い台形の屋根、がっしりとした基礎は、17世紀の楼を参考にしながらも、解釈が大きく変えられている。
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