オペラのディーヴァ、アンナ・ネトレプコ

アンナ・ネトレプコ氏 // Getty Images / Fotobank 撮影

アンナ・ネトレプコ氏 // Getty Images / Fotobank 撮影

10月11日に公開されたニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のMETライブビューイングに、アンナ・ネトレプコ(43)がヴェルディ《マクベス》のマクベス夫人役で出演。また10月28日には、ネトレプコはボリショイ劇場で行われるエレーナ・オブラスツォワの75歳を祝う『オペラの舞踏会』に初めて出演する。

-あなたは、エレーナ・オブラスツォワとは同じ舞台に出演するのですか? 

 はい、彼女との出会いはメトロポリタン歌劇場でのプロコフィエフ《戦争と平和》でした。私はナターシャ役、彼女はアフローシモワ役でした。私にとって彼女は、すべての意味において本物のオペラ歌手の鑑です。女優としても、歌手としても、女性としても。神が彼女に健康を賜らんことを。彼女は思いやりがあり、またアネクドートの絶えることない明るい方でもあります。 

-メトロポリタン歌劇場では、あなたはヴェルディのオペラでマクベス夫人役という、プリマドンナが誰しも挑戦するわけではない難しい役を歌うわけですが

 はい、これは、純粋な直観から生まれたシリアスな冒険といったところです。かつて私がドニゼッティの《アンナ・ボレーナ》のタイトルロールを歌ったとき、マクベス夫人をやってもいいじゃないか、と思いました。2年間、非常にゆっくりと慎重に準備を整え、一歩ずつ、役を勉強してきました。もちろん、リスクはとても大きなものがあります。とりわけメトロポリタン歌劇場は、この役に対して、強力な声をもつ一定のドラマティック・ソプラノに慣れているのですから。しかし歌手たちの布陣は、マエストロ、ファビオ・ルイージを含めてすばらしく、すべては順調に進みました。 

-マクベス夫人役は雷のようなドラマティック・ソプラノでなければならないとされていますが、その点に関してはいかがですか?

 その点に関して私は、そうではないということをお見せできればと思っています。無条件に、この役を引き受ける歌手は広い声域をもっていなければなりません。ベルカントのテクニックが私にとってとても役に立つのと同じように、この役では必須の、私の低音域の胸声もまたこの役のためにとても助けになっています。 

-《イオランタ》のタイトルロール、《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・アンナのような高貴なタイプ、そして《愛の妙薬》のアディーナ、《ドン・パスクアーレ》のノリーナのような滑稽味のある役を歌ってきたあなたにとって、マクベス夫人は初めての悪女役となりますが、その点、今回の「変身」についてはいかがですか?

 驚くべきことに、この否定的な側面をもつ人物は私にぴったりで、舞台上ではまさにそれが自分自身であるかのように演じることができました。むしろチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》でタチアナ役を歌うときには、ジェスチャー、視線のひとつひとつを演じなければなりませんでしたが、マクベスではその点ずっと楽でした。ヴェルディの音楽も、地のままでよくて「演じる」必要がないような役柄も、私はとても気に入っています。その点、とても面白い仕事をすることができました。 

-あなたの考えでは、男のおかげで権力の極みに上った悪女の試みを、ヴェルディは正当化しようとしたわけではないと?

 私はそのようには考えていません。音楽の内容から判断して、彼女の貪欲さや憎悪はひたすらつのっていくばかりです。一方、復讐の二重唱では、何か野性的で野蛮なものが噴き出してきて、今回の演出でもそれは荒々しいセックスで終わります。我々はヒロインの完全なる道徳的堕落を、その最初から、野心が肥大化の極致に達する終幕まで一部始終観察しているわけです。彼女は、もしかすると生まれながらの悪人ではなく、世界に何百万人もいるような、虚栄心の強い女にすぎないのかも知れません。悪の列車は恐ろしいスピードで疾走し、止まることがない。しかし罪は消え去ることがなく、夜の悪夢から彼女は解放されないのです。 

-マクベス夫人役は、あなたのレパートリーを、偉大な歌手マリア・カラスのそれにまた一歩近づけましたが、その点に関してはいかがですか?

 そのように比較されることはとても光栄なことです。しかし私はまったく別の歌手ですから。歌手が外面や歌唱においてマリア・カラスの模倣をしようとすると、歌手生命を短くしてしまうというジンクスがあります。絶対的な音楽性、リズムやフレーズ、歌唱スタイルの明晰な感覚という面で、私はマリア・カラスに心酔しています。彼女の歌唱を聴けば、その音楽が、聞こえるべき形で聞こえてくることが分かるでしょう。 

-あなたはすでに疑いのない、明白な高みに到達していますが、この後は?《アイーダ》を?それとも《トスカ》を?

 はい、《アイーダ》に関してはいろいろなプランを考えています。今のところ私は、パワーとテクニックを必要とするレパートリーが面白いんです。ベッリーニの《ノルマ》もヴェルディの《アイーダ》も、それぞれ芸術的にも物理的にも全身全霊で打ち込まねばならない役ですが、それらが私を待っています。つい最近ですが、私はリヒャルト・シュトラウスの《4つの最後の歌》を何の気なしにマスターし、ベルリンで指揮者のダニエル・バレンボイムと演奏し、録音しました。このことは、私のレパートリーにとってひとつのブレイクスルーになりました。この華麗で美しく、またやわらかい音楽を、私は自分のために切り開きました。この作品をサンクトペテルブルクにもってくることができることを喜ばしく思いますし、もしかするとワレリー・ゲルギエフが指揮してくれるのではと思います。

 

記事全文(露語)

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