モスクワの名作映画公開50周年

ソ連時代もっとも人気の高かった映画の一つ、「モスクワを闊歩する」が公開された1964年から、今年で50年目を迎える。この映画はソ連史における束の間の自由主義の象徴であり、モスクワを舞台とする、もっとも優れた作品の一つである。ベネチア国際映画祭でも上映されたこの映画に関連する、モスクワのさまざまなスポットを特集する。

赤の広場、GUM、雪解け

 登場人物は赤の広場を歩く。これはロシアの象徴的な広場で、クレムリンではもっとも重要な政治的決定が行われる。国民の間で「雪解け」と呼ばれた国の新たな政策には、クレムリンのイメージがともなう。

 「雪解け」とは、1950年代半ばから1960年代半ばまでの、ソ連社会の脱スターリン化と自由主義の時代だ。1956年のソ連共産党第20回大会で、新たな最高指導者ニキータ・フルシチョフがヨシフ・スターリンを批判する演説を行い、大きな変化をもたらした。1957年にはモスクワで世界青年学生祭典も開催され、131ヶ国から3万4000人が集まった。

 赤の広場にはGUMがある。GUMとは当時の国営百貨店、現在の総合百貨店の略称。映画の登場人物は、ここのレコード売り場で、若い店員と知り合う。GUMは国の繁栄と幸福の象徴、代表的な百貨店で、土産物やなかなか手に入らない商品を買うために、また国内でもっともおいしいと言われていたアイスクリームを食べるために、モスクワを訪れた人の誰もがここに立ち寄った。

 

モスフィルム、ゲオルギー・ダネリヤ


タス通信

 「モスクワを闊歩する」のダネリヤ監督は、国の代表的な映画スタジオ「モスフィルム」で生涯撮影を続けた。人気の高い作品には、「悲しまないで」、「秋のマラソン」、「ミミノ」、「パスポート」などがある。「モスクワを闊歩する」は、ソ連で最初にイタリアの新写実主義やフランスのニューウェーブの可能性を示した映画の一つ。1964年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したフランス映画「シェルブールの雨傘」と、多くの共通点があるのは偶然ではない。

 

シェレメチエヴォ空港、ストーリー

 シベリアのおおらかで素朴な労働者の青年は、モスクワの雑誌に短編小説を発表し、有名な作家と会うためにモスクワに来た。そこで地下鉄建設作業員と知り合いになり、映画の中でずっと夏のモスクワめぐりをし、さまざまなおもしろいできことに遭遇する。青年が到着する空港が国の主要なシェレメチエヴォ空港だ。

 

VGIK、ゲンナジー・シュパリコフ


アンドレイ・タルコフスキー、ヴァシリー・シュクシン、ゲンナジー・シュパリコフの3人の銅像=Lori/Legion Media撮影

 ゲンナジー・シュパリコフは「モスクワを闊歩する」の脚本家で、時代の歌となった主題歌の作詞家。1960年代の中心的な人物である。37歳の若さでこの世を去った。死後しばらくして全ソ国立映画大学(VGIK)には、アルマ・マータ(母校)を有名にしたアンドレイ・タルコフスキー、ヴァシリー・シュクシン、ゲンナジー・シュパリコフの3人の銅像が建立された。

 

地下鉄「大学」駅、「モスクワを闊歩する」主題歌

 「世界のすべてが最高な時がある。なぜだかすぐにはわからない。ただ夏の雨が降っただけ。普通の夏の雨が…」はニキータ・ミハルコフが歌う、主題歌(作曲アンドレイ・ペトロフ、作詞ゲンナジー・シュパリコフ)の一節。この歌は「モスクワ郊外の夕べ」とともに、モスクワについてのソ連の主要な歌の一つとなった。50年が経過した今でも歌われ続けている。

 ミハルコフは映画の終わりに、地下鉄「大学」駅でこの歌を歌う。主人公は労働者階級の代表、地下鉄建設作業員なのだから、場所はぴったりだ。モスクワ地下鉄は国の誇りであり、ソ連発展の教会であった。駅は芸術作品で、大理石がはりめぐらされ、美しいモザイクが施され、彫刻が置かれた。国中の労働者と農民はモスクワを訪れた時、駅を見て国の発展に誇りを感じていた。地下鉄はVDNH(経済達成博覧会)、ゴーリキー公園、その他の文化施設とともに、イデオロギー的教育に融合していた。

 

ゴーリキー公園、雰囲気

 軽快で明るいこの映画は、ソ連の偉大な映画撮影技師ヴァジム・ユソフの作品である。タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」の撮影を終えた後、この映画の制作に移った。ユソフはその後タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」の制作にもかかわっている。「モスクワを闊歩する」の印象的な場面にゴーリキー公園がある。登場人物が休んでる人に”付きまとい”、警察沙汰寸前となる。

 

セルゲイ・ミハルコフ像、俳優

 ガリーナ・ポリスキフ、エヴゲニー・ステブロフ、アレクセイ・ロクテフの若き俳優たちからは、エネルギーが満ち溢れていた。そして少し上のロラン・ブィコフ、ウラジーミル・バソフ、レフ・ドゥロフなどが演じる滑稽な登場人物が、3人を引き立てた。トップスターが出演し、またこの映画の後で多くの俳優がトップスターになった。

 主人公を演じたのは、当時18歳の俳優で監督のニキータ・ミハルコフ(その映画「太陽に灼かれて」はアカデミー賞外国語映画賞受賞)。ミハルコフは魅力的で純朴な地下鉄建設作業員を演じ、楽観主義と人間性を観客と共有した。ニキータの父は詩人のセルゲイ・ミハルコフ。ソ連および現代ロシアの国家を作詞した人物だ。モスクワのポヴァル通りには、セルゲイが妻と子供のニキータ監督およびアンドレイ・コンチャロフスキー監督と暮らしていた家と、セルゲイの銅像がある。

 

チストプルドヌイ並木道

 チストプルドヌイ(きれいな池の)並木道でシベリアの駆け出しの作家に犬が噛みつき、地下鉄建設作業員のコーリャに家に招かれる。チストィエ・プルドィ(きれいな池)は歴史的な場所である。17世紀、ここには汚れた沼があり、廃棄物が捨てられていた。1703年に皇帝ピョートル1世の側近アレクサンドル・メニシコフがここの大きな領域を購入し、きれいな池にするよう命じた。以降、きれいな池と呼ばれている。ここはモスクワっ子の散歩の場所であり、映画が撮影され、小説の舞台になっている。

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