写真撮影:ロシア通信
製陶業を営んできた、また営んでいる土地で共通の空間をつくりながら、ひとつの村は次の隣村へと移り変わっていく。中心部には、100年以上前に開校されたグジェリ国立芸術・産業大学、美術館、陶器が置かれた店、工場がある。
グジェリと名付けられた村は、ここ100年ほとんど変わっていない。堤防で囲まれたグジェルカ川のほとりの小さな村だ。人口はわずか700人強。だがすべての近郊の村に点在する、グジェリ陶器を生産している工場では、1500人以上が働いている。
イヴァン1世時代から700年近い歴史
グジェリ村についての最初の記述は1339年のもの。モスクワ大公イヴァン1世の遺言状にもでてくる。地元の職人が、白い粘土から食器をつくりはじめたのは、この時だ。粘土には複数の種類があり、最高級は「ムィロフカ」と呼ばれる薄い白粘土。この粘土は陶磁器やファイアンスに使われた。グジェリの農民は農奴になったことはなかった。農民を含めるグジェリ全体が陶器生産のため、医務庁の管理下に置かれた。
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1800年前後、ヴォロジノ村で白いファイアンス混合物の成分が発見され、初の製陶工場が創設された。創設者のパーヴェル・クリコフは、陶器の生産技術を習得。グジェリでは1780年代末までに、製陶工場が25ヶ所活動していた。粘土は地元の雨裂から集めた。職人は引退する際、息子の見習い職人と娘の書記に引き継いだ。最初に食器に絵付けをし、その後大きな製陶炉で焼く。
食器以外にも鳥や獣、ロシアの日常をテーマとした装飾的な置物もつくっていた。白く輝く馬、騎士、人形、ミニチュア食器には、藤色、黄色、青色、茶色の絵の具で民族モチーフの絵が描かれていた。
現在のグジェリ製陶工場
今日グジェリ陶器をつくっているのは、複数の大工場。非公開株式会社「グジェリ製陶工場」は2003年にノヴォハリトノヴォ村で創設された。工場は、昔からグジェリ陶器がつくられている、レチツィ村にある。工場の下階には成形工場があり、上階には絵付け部門がある。上階にあがると、絵の具のにおいがする。職人の机の上には、筆、へら、作業道具があり、黒い混合物(酸化コバルト)の瓶などの作業道具が置いてある。製陶炉で青い色に変わるのが、この酸化コバルトだ。
「グジェリ製陶工場」のピョートル・シヴォフ社長はこう話す。「(前身から数えて)昨年が当工場の195周年だった。歴史が始まったのは1818年。ノヴォハリトノヴォ村に小さな製陶所がつくられた。当社の工場が一番大きい。またこの地区でもっとも順調に続けてきた」
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他の大手工場としては、非公開株式会社「合同体グジェリ」がある。1990年代に活動を始めた。ロシア革命前にほぼ失われていた、コバルトでの青と白の絵付けの伝統は今日、完全に復活している。この工場の敷地内には、「産業見本基金」があり、製陶の歴史やグジェリに関する資料が豊富に集められている。
「グジェリ試験製陶工場」は、他のグジェリの工場とは異なり、伝統的な多色の陶器を生産している。コバルトの絵は唯一の種類ではなく、グジェリにはさまざまな色の粘土からできた作品や、鮮明な色づかいの絵もある。
美術館
「合同体グジェリ」の敷地内に創設された美術館には、グジェリ陶器の中でも価値の高い作品が展示されている。美術館ではマジョルカや陶器の生産工程を見たり、絵の特徴を学んだり、マスター・クラスで自分の作品をつくったりすることができる。美術館基金は2000点以上の作品を保有しており、初期の作品の中には15世紀のものもある。
周辺の観光スポット
グジェリの村々には、地元の製陶業の人々が19~20世紀初めに建設した教会がある。
主の昇天教会
レチツィ村には、コンスタンチン・トン設計の典型、赤レンガ造り、ヘルメット型の、主の昇天教会(1859)がある。
聖ゲオルギイ教会
ノヴォハリトノヴォ村には、美しいモダン建築の古儀式派の聖ゲオルギー教会がある。対ナポレオン勝利100周年にあたる1912年に、工場主のクズネツォフ一家によって建設された。
聖大致命者凱旋者ゲオルギイ教会
イグナチエヴォ村には、聖大致命者凱旋者ゲオルギイ教会(1863)がある。馬に乗った聖ゲオルギイが描かれたステンドグラスが残っている。
生神女庇護教会
カルポヴォ村には、工場主グロトフの資金で主に建築された生神女庇護教会(1864)がある。白石造りの基部とレンガの建物は、古代ルーシの建築要素を取り入れた、折衷建築になっている。
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