カジミール・マレーヴィチ、『農民の頭部』。 Sotebyの画像提供
一方、母は生まれながらに繊細であり、詩を書き、刺繍をし、その後はマレーヴィチの絵画への志向を支えたひとりとなった。幼年時代のマレーヴィチは、じゃがいもを洗う少女の絵を見て、「芋洗いがこのように絵に描けるのか」と感動した。まさにこの型破りなリアリズムこそが、20世紀の最大の抽象画家のひとりであるマレーヴィチを惹き付けたのだ。
1. 『春/生彩の庭』(1904年)
マレーヴィチの初期作品のひとつ。この時期の彼の作品には、印象主義の気風が現れているが、これは、ほとんどアヴァンギャルドの画家が経験したことだ。彼が絵を教わった先生が、ポール・セザンヌに夢中だったのである。
2. 『自画像』(1910年、国立トレチャコフ美術館、モスクワ)
純粋な印象主義から脱し、マレーヴィチはアヴァンギャルドへ進み、様々な創作グループの展覧会へと参加した(『ダイヤのジャック』、『ろばのしっぽ』)。画家はキュビスムやアロギズム(非論理主義)へと向いていった。次第に幾何学図形が現れるとともに、すべての絵の筆致は原始化していく。
3. 『教会の農婦たち』(1911年)
この作品は『農民の第一連作』と名付けられた作品の中のひとつで、その基本的な主題は、草原や教会における農民たちや、農民たちの肖像である。画面の質量感が増大し、立体的かつ静的な絵となっている。
4. コスチュームのデザイン『敵兵』
マレーヴィチは積極的に他のロシアのアヴァンギャリストたちと仕事をし、とくに音楽家で美術家でもあったミハイル・マチューシンや詩人アレクセイ・クルチョーヌィフと親くしていた。彼らから生まれたのが、未来派オペラ『太陽の征服』であり、芸術的な非論理性に貫かれた構成をもつ作品であった。マレーヴィチはこの作品の衣装デザインを描いていた。
5. シュプレマティズム絵画(黒い台形と赤い正方形)1915年、アムステルダム市立美術館
この作品は、有名な『黒の正方形』と同じ年に制作され、その芸術思潮にシュプレマティズムという名が与えられた。マレーヴィチはこのシュプレマティズムの創始者、そして理論家として世界に有名である。シュプレマティズムのマニフェストにおいてマレーヴィチは、アカデミズムの拒否、概念と創作方法における革命の勝利を、創作における主要原則として宣言している。「我々は、『自ら』が、アカデミズムの型にはまった創作を行う“自由芸術家”に抗する、自由な創造者であることを宣言する」
6. 『熊手をもつ女性』(1930-32年 国立トレチャコフ美術館、モスクワ)
以前の『第一連作』以上に農民がプリミティヴに描かれているのが、この『第二連作』である。マレーヴィチはこの作風を「新印象主義的」と呼んでいる。彼は晩年にリアリズム絵画に回帰した。『黒い正方形』の創始者がありふれた地上の物体の描写へと移行したとは!…
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。