編みの複雑さとサイズにより、ショールの値段は、100ユーロ~1500ユーロと幅がある。手編みのショールは、白、こげ茶、グレーなど、素材そのままの色の製品が多い。=Lori/Legion Media撮影
ショール製作の歴史が始まるのは、ちょうどこのオレンブルグ州に、柔らかく丈夫な毛をもつユニークな品種の山羊が棲みつくようになってからのこと。長い年月をかけて、ここの山羊は、吹雪と酷寒のきびしい冬に適応していった。ショールに使われる山羊の産毛の太さは17ミクロン。人間の毛髪の4分の1、アンゴラ山羊の毛の0.67倍という細さだ。
歴史
カシミアに似た山羊産毛製品の製作が始まったのは、250年ほど前のこと。オレンブルグの山羊毛製品は、もう18世紀半ばには、研究者らや、この要塞都市に住み着いたヤイク・コサックらに注目されていた。
他所からオレンブルグにやってきた人びとを第一に驚かせたのは、現地住民であるカルムイク人やカザフ人が、見たところ軽装なのに、非常にきびしい酷寒(ここではマイナス40度になることもある)にも平気で耐えていけることだった。すべての秘密は、現地の山羊の、シルクのように繊細で光沢のある産毛を紡いで 編んだ衣服にあることがわかった。
編みの複雑さとサイズにより、ショールの値段は、100ユーロ~1500ユーロと幅がある。手編みのショールは、白、こげ茶、グレーなど、素材そのままの色の製品が多い。
コサックらは、山羊を飼う業者を相手に、お茶やたばこと山羊毛の衣服を交換し始めた。やがてウラル・コサックらは、編み方の技術も変えていった。「隙間のない」編み方のかわりに、レース編みや刺繍の要素を導入したのだ。
このようにしてオレンブルグの山羊の産毛を使ったショールその他の製品が有名になり、世界的に知られるようになった。オレンブルグ・ショールが外国で最初に展示されたのが1857年のパリ万国博だったのだ。製品がさらに広く認められるようになったのは19世紀末、ロシア帝国の末期で、この頃には英国でも、 「オレンブルグ風模倣品」のラベルをつけた製品の生産が始まっていた。本物のオレンブルグ製品は、決して安くはなかったので。
高い価格と高まる需要の影響で、山羊毛ショールの生産は、19世紀末に急速に発展し、1910年には編み職人の数が2万人を超えた。
ショールの種類
オレンブルグ・ショールの種類は、それほど多くはない。普通のショール、「蜘蛛の巣」の意味をもつ「パウチンカ」、「パランチン」と呼ばれる薄手の肩掛け やマントの三種類だ。これらの製品の優れた編み職人が住んでいるのは、ジョールトエ村とシシマ村。
ショールのサイズは大きいのだが(標準サイズは 210×210㎝)、たとえば「パウチンカ」は、ガチョウの卵の殻の中に容易に納めることができ、指輪をくぐらせることもできる。100年前には、まさし くそのやり方で、本当にオレンブルグ・ショールかどうかをテストした。これらの製品の基礎になるのはシルクの糸(2/3が産毛で1/3がシルク)だ。こん な製品を手編みで仕上げるには、1枚のショールに1ヵ月かかる。
ショールは手編みだけではなく、オレンブルグ州には、機械編みのショール製品を生産する工場がいくつかある。それは手編みよりも廉価だが、編みがより粗く、独特の模様もない。
オレンブルグの編み職人は、その一人一人が、ショールに編み出す模様の作者だ。模様はじつに多彩で、たいてい、「ヨーロチカ(もみの木)」、「猫の手」、「丸いキイチゴ」、「シャーシェチカ(駒)」など、民芸色豊かな名前が模様についている。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。