グローバルなチェブラーシカ

チェブラーシカはソ連時代から子供たちの心をつかみ、その生活の一部となり、その子供や孫たちも魅了してきたが、色あせるどころか海外でも愛されていることがわかった=画像提供:タス通信

チェブラーシカはソ連時代から子供たちの心をつかみ、その生活の一部となり、その子供や孫たちも魅了してきたが、色あせるどころか海外でも愛されていることがわかった=画像提供:タス通信

チェブラーシカはソ連時代から子供たちの心をつかみ、その生活の一部となり、その子供や孫たちも魅了してきたが、色あせるどころか海外でも愛されていることがわかった。日本のチェブラーシカのリメイクを見ればそれは明らか。モスクワで行われる第7回アニメ大祭では、日本版も上映される。

続編を製作した中村誠監督

 チェブラーシカはロシアだけでなく、多くの国で愛されている。日本ではとくにそれが顕著だ。ロシアの子供たちは日本のアニメが大好きで、日本の人たちはソ連のアニメに親しみを感じている。日本の中村誠監督は2010年、劇場版「チェブラーシカ」を制作。第1話はソ連の旧作のリメイクで、第2話以降はまったく新しい物語。とてもデリケートに、そして愛情を込めて、ソ連の傑作の続編をつくった。

 

「ずっとチェブラーシカの続きを見たいと思っていた」

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 中村監督はモスクワを訪れた時、こう話していた。「1970年代に東京の小さな劇場でロマン・カチャノフ監督の『チェブラーシカ』が上映され、見た日本人の多くがとりこになった。私はずっと、この物語の続きが見たいと思っていた」。

 このソ連アニメの何がそれほど日本人の心に響いたのかは、具体的にはわからない。当時はアニメという独立したジャンルが生まれつつあった時代で、現在世 界中で人気の高いアニメ・シリーズの原点にもなっている手塚治虫の「鉄腕アトム」は、代表的な作品だ。そしてこのような日本の作品の基礎になっているの が、日本的なディズニーの伝統の解釈である。手塚治虫はディズニーからアイデアを得て、感情を伝えるためにキャラクターの目を大きくした。したがって、 チェブラーシカが受け入れられたことは、不思議なことではない。

 

「思わず手を握りたくなるような不器用な子」 

 ソ連のアニメも1970年以前は多くが模倣的だったし、「ソユーズムリトフィルム」(ソ連のアニメ・スタジオ)自体がディズニーへの対抗策として創設されたものだ。

 独自のスタイルができあがったのは、ちょうど1970年代。チェブラーシカは、芸術家のレオニド・シュワルツマン氏、作家のエドゥアルド・ウスペンスキー氏、監督のロマン・カチャノフ氏の創作活動の成果であり、初めての”非ディズニー”のヒーローだ。

 シュワルツマン氏はチェブラーシカを考案する際、本に具体的な描写がなかったことから、長い時間悩んだ。1968年の最初の下絵を見ると、確かに苦労し たことが見てとれる。鼻を小さくして、尻尾を短くし、耳を何度も大きく描きなおした跡が残っている。またいたいけな子供のように、目にはいじらしさが増し ている。このようにして、「思わず手を握りたくなるような不器用な子」の姿が完成した。

 

チャップリンのようなチェブラーシカ

 この40年後、異なる世代の、異なる文化的伝統の国の男性が、チェブラーシカの本質を感じとった。日本の新しいチェブラーシカも、さまざまな才能を結集させた成果だ。

 中村監督は「チェブラーシカ」の続編を思いついた時、まずモスクワに来てユーリ・ノルシュタイン氏の工房を訪れた。

 「この時はまだシナリオができていなかった。ユーリ・ノルシュタインさんの工房の壁にチャップリンが飾ってあるのを目にして、チェブラーシカは無力でい じらしくて、チャップリンのようなんだと感じた。ゲーナもそうで、普段は紳士的なのに、予期しない状況に陥ると、チャップリンのようになる。この時に チャップリンの『サーカス』という映画を思い出して、どちらもまったく違う物語だけど、優しさ、友情、助けという重要な共通点があると理解した」

 このようにしてマーシャという新しいヒロインが登場する、サーカスの話が生まれた。中村監督はマーシャをロシアのアニメ「ミトン」の少女に似せた。 「『ミトン』の女の子は私のお気に入りのヒロイン。私の娘にはこの子のようになってほしい」。チェブラーシカとミトンを描いたシュワルツマン氏とも会い、 登場人物について相談したという。

「カチャノフ監督だったら、どうやって撮影したかな?」 

 「チェブラーシカは国をこえた存在で、ロシア人とか日本人とか、誰が続編を撮影するかということは重要ではないと思う。けれど、ロシアの観客の皆さんに、原作をつくった人たちが続編をつくったと言ってもらえるように、映画を制作した」と中村監督。

 中村監督はプロジェクトを完全な日本式で進め、まずカチャノフ監督の墓参りに行った。「新しいシリーズを古いシリーズと同じように見てもらえるように、 とお願いした。製作時はいつも、カチャノフ監督だったら最新式の機械を手に、今どうやって撮影していたかな、などと考えていた。私はカチャノフ監督の“影”に なった」。この劇場版の撮影班は、「ロマン・カチャノフの魂は我々とともに」と書かれたTシャツを着ていた。

 アートディレクターには、ノルシュタイン氏の弟子で、現在ソユーズムリトフィルムの芸術監督を務めるミハイル・アルダシン氏を招へいした。ソユーズムリトフィルムのエンブレムは今でもチェブラーシカだ。

 

どこかにチェブラーシカの村がある

 原作の雰囲気をそのまま醸しだし、カチャノフ監督のスタイルを理解してもらうために、日本の撮影班は当初、第1話を原作の完全なリメイクにしようとして いた。だが現代の画面は以前よりも大きくなっているため、一部のシーンを撮影するのが非常に難しいことが明らかとなった。

 ちなみに、新しいチェブラーシカは少し大きくなっている。カチャノフ監督は1秒間に12カット、中村監督は1秒間に24カット撮影したからだ。 「もっと動きがほしかった。チェブラーシカは人形ではなくて、生き物だと思っているし、どこかにチェブラーシカの村があるって信じているんだ」と中村監 督。

 人形アニメはあまり日本でつくられていないため、新しいチェブラーシカの人形は、ノルシュタイン氏の作品のファンが設立した韓国のスタジオでつくった。

 異なる国、時代、伝統を吸収したグローバルなチェブラーシカが、これで完成した。アニメは総合的な芸術だが、これこそが地球の人々を一つにできる。ここに価値があるのだ。



元記事(露語)

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