アレクセイ・バラバノフ死去

2013年5月18日、1990年代のマニフェストとなった作品『ロシアン・ブラザー』と『ロシアン・ブラザー2』で多くの観客を魅了したロシアの人気映画監督アレクセイ・バラバノフが逝去した。まだ54の若さだった。

 アレクセイ・バラバノフは、1959年2月25日、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)に生まれ、通訳としての教育を受けて、アフガニスタンでの戦争に参加する(この体験は『戦争(チェチェン・ウォー)』や『カーゴ200』といった作品に反映される)。シナリオ作家・映画監督養成上級コース(VKSR)修了後、1990年より、バラバノフは、サンクトペテルブルクを活動の拠点とする。

 

90年代のロシアを体現しつつ普遍的な世界へ 

 バラバノフは監督として、ソ連邦崩壊期に頭角を現し、ロシアの映画芸術の全時代を体現した。

 一方で、彼の映画は、西側の監督の作品と同列に並べることができる。犯罪、暴力、根拠薄弱な残酷さへ傾向には、クエンティン・タランティーノの初期の作品との形式上の類似がうかがえる。また、自由な視点をもつ進歩的な映画マニアにさえ様々な感情を抱かせたバラバノフの最もスキャンダラスな作品の一つ『フリークスも人間も』は、ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』やピエル・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市』と対比できるかもしれない。

 他方で、バラバノフは、まさに1990年代のロシアに現れたもっぱらロシア的な現象である。この監督は、けっして外国の映画祭の栄光を追い求めず、つねに母国への愛情を固く守り、ほかならぬロシアについての映画を撮り続けた。

 同監督が生涯で撮影することのできた劇映画は14本。シチュエーションドラマ『ロシアン・ブラザー』とその続編『ロシアン・ブラザー2』、メランコリーに溢れた抒情的な作品『つらくない』、嘲笑に貫かれた『目隠し鬼(Dead Man's Bluff)』、ミハイル・ブルガーコフの『若き医師の手記』を映画化した『モルヒネ』、フランツ・カフカの同名の中編小説を映画化した『城』などである。

 

代表作『ロシアン・ブラザー』 

 『ロシアン・ブラザー』(および、続編『ロシアン・ブラザー2』)は、バラバノフの名刺ともいえる代表的な作品で、その台詞は観客によってさかんに引用された。

 除隊したダニーラは故郷に帰還する。しかし、ロシアの田舎の退屈な暮らしに嫌気がさし、噂では兄がもう何年も成功を収めているというペテルブルクへ向かう。ところが、ダニーラの実の兄は殺し屋を稼業としていた…。これが第一部のあらすじである。

『ロシアン・ブラザー2』、音楽:Би-2 "Полковнику никто не пишет"

 この映画が成功を収めた理由は、場所と時代にぴったりマッチしていた点にある。『ロシアン・ブラザー』のストーリーは、当時、マスコミで取り上げられていたものと同じものを映画で目にし、台所で交わされていたものと同じ会話を耳にする可能性が現れた、最初のケースの一つといえる。

 この二部作は大好評を博したが、もっと後期の作品も注目に値する。それらは、重苦しく単調で血生臭い映画を撮るというスタイルは変えないものの、アレゴリーへ傾いていった。『カーゴ200』は、一方でサイコスリラーであり、他方で強烈な反戦映画である。

 2012年2月の自身の最後の完成作品である『私もなりたい』のテレビ放映において、監督は、自作のジャンルについて次のように述べた。「これはファンタスティックなリアリズムであり、ストーリーを除いてすべてがリアルな新しいジャンルなのです」。

 

遺作『私もなりたい』 

 『私もなりたい』では、ふしぎな「幸福の鐘楼」をめざす五人の旅が描かれている。音楽家、ギャング、彼の友人マトヴェイとその老いた父、若い娼婦は、その謎の場所を探しだして幸福を手に入れようとする。鐘楼は誰をも迎えるわけではないのに、誰もが自分こそ選ばれると信じている。

 2月にアレクセイ・ゲルマン監督が逝去した際、一部の映画批評家は、ロシア映画界にはアレクセイ・バラバノフという注目に値する一人の監督が残ったと宣言したが、そのバラバノフも今はいない。

 ゲルマンと同様、バラバノフにもやり残したプロジェクトがあり、最近、彼は、スターリンの青春時代についての『わが兄弟は死す』(仮題)という映画を制作していた。ゲルマンの遺作『アルカナル虐殺記』を子息のアレクセイ・ゲルマン・ジュニアが完成させつつあるように、バラバノフの遺作もおそらく子息のフョードル・バラバノフが完成させるにちがいないが、これはロシア映画の大刷新に対する若干の希望を抱かせてくれるものといえよう。

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