ボルガ川沿いの街 コストロマ

コストロマ市はモスクワ市から北東300キロ、コストロマ川がボルガ川に流入する地点に位置する、人口30万人の街だ。マロースじいさん(ロシア版サンタクロース)の孫娘である、スネグーロチカの出身地と考えられている。観光ルート「黄金の環」に沿ってコストロマを訪れる旅行者は、この街の中心部に、ロシアでは標準的な教会やクレムリンがなく、19世紀の商店街と円柱のある大きな古典様式建築物があることに驚く。

コストロマ市

かつてはこの街にもクレムリンはあった。15世紀、ボルガ川流域の高い丘の上にクレムリンが建設されたが、ソ連時代の1930年代に、同じ敷地内にあった生神女就寝大聖堂とともに解体された。現在この場所には、市立公園とレーニン像がある。

観光はスサーニン広場から 

コストロマ市の観光は、国民的英雄のイワン・スサーニンにちなんで名づけられた、スサーニン広場から始めるのが良いだろう。ロシア動乱時代の最中に起こったロシア・ポーランド戦争(1605~1618年)の際、すでに皇帝として認定されていたミハイル・ロマノフ(ロマノフ王朝最初の皇帝)とその母は、世襲領地であるドムニノ村(現コストロマ州スサーニン地区)に住んでいた。それを知っていたポーランド軍は、その村を目指して進み、途中で出会った農夫のスサーニンに村まで案内するよう命じた。するとスサーニンは村に案内するふりをして、わざと反対方向の森の奥深くに一行を導いた。それに気づいたポーランド軍は、正確な道を教えようとしないスサーニンを殺害したが、冬の酷寒の中ですっかり道に迷ってしまい、森から抜けだすことができずに全員死亡したのだ。この広場は当初エカチェリノスラフスカヤ広場と呼ばれていたが、1835年にニコライ1世の命令でスサーニン広場に変わった。

もっと読む:


『黄金の環』

かつては交易の中心地 

この街はガイドなしでも観光を楽しめるように整備されている。街の100ヶ所以上の歴史的建築物や銅像のわきにはQRコードのスタンドが設置されており、それを携帯で読み込むと、詳細な歴史などが表示されるようになっている。

この街は、ヤロスラヴリ、モスクワ、ウラジーミルなどの街から続く道が交差する地点だったため、17世紀から18世紀にかけて交易の最大の中心となり、地域経済は発展した。18世紀になると、木造の商店街を石造りに変える計画が持ち上がり、長方形のラインを描くように、クラスヌィエ・リャドィ(赤商店街)が建てられた。商店街の1階は柱廊になっていて、柱の間に1店舗ずつ配置されている。2階は現在オフィスと呼ばれていて、地下は倉庫になっている。

おしゃれな1819世紀の商店街 

また、この商店街には、コストロマでもっとも古い教会のひとつ、救世主教会が併設されている。商店街の中庭には、後に増築されたメロチヌィエ・リャドィ(小商店街)もあり、スサーニン広場から赤商店街をながめると、左手にはタバコ商店街と油商店街、右手には小麦粉商店街があり、その後ろに赤商店街が見える。18~19世紀の商店街からなる、小さくておしゃれなこの一角には、現在お店やカフェがある。

スサーニン広場からは放射線状に幹線道路が伸び、広場を囲むように、商店街とともに街の景観をつくっている建築物がある。そのうちのひとつが19世紀初めに建設された、古典主義の火の見やぐらだ。正面には6本の大きな円柱、そして屋根の上には灯台のような望楼がある。現在この建物の内部は歴史・建築博物館と、防火情報センターになっている。もうひとつの広場のわきの建物は、同じく古典主義建築のボルショフ邸が立っている。ここは現在市の裁判所になっている。


大きな地図で見る

レーニンにすげ替えられた皇帝たちの巨像 

油商店街を通り過ぎると、コストロマ・クレムリンの跡地に広がる市立公園がある。一般的な公園だが、真ん中の遊歩道にはソ連の産物である巨大なレーニン像が立っているため、思わず見入ってしまう。このレーニン像の花崗岩の土台には当初、ロマノフ家300年を記念して(1913年)、ニコライ2世の第一皇子であるアレクセイ皇太子を含むロマノフ家皇帝像26体を置いた、高さ36メートルの豪華な搭が建築される予定だったが、ロシア革命が起こり、完成にはいたらなかった。革命後、それまでにつくられていた20体の銅像は溶解処理され、さらにこの土台をムダにしないように、レーニン像が設置された。

ロマノフ王朝発祥の地 

コストロマ川河畔にたたずむ、黄金の丸屋根のある至聖三者イパチイ修道院とその大きな要塞は、とても印象的だ。14世紀に建てられたこの修道院には、ロマノフ家代々の皇帝が即位した後必ず訪れ、豪華な贈り物を献呈していたため、ロマノフ家発祥の場と考えられている。現在ここには、ゴドゥノフ家とロマノフ家の贈呈品の大きなコレクションがあり、17~19世紀のコストロマの教会の品とあわせて見学することができる。

コストロマは歴史的に紡織会社や交易で知られ、大きな川港として発展した。これは市章にも反映され、波に乗る古き帆船のフリゲート艦が描かれている。

行き方 モスクワ発コストロマ行きの列車は1日に数本出ている。所要時間7時間、平均運賃40ユーロ(約4000円)。

宿泊先 コストロマ市内には安いアパート、一軒家、中程度のホテル多数。価格は2人部屋で1日40ユーロ(約4000円)から。

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる