アントン・チェーホフ |
この作品は、翌1904年1月17日の作家の誕生日に、モスクワ芸術座で初演された。チェーホフは、そのほぼ半年後の7月15日に、持病の結核で亡くなる。
『桜の園』は、女地主ラネーフスカヤが零落し、先祖代々の「桜の園」を競売にかけられて失う話が軸になっているが、亡命ロシア作家イワン・ブーニン(1870~1953)は、この作品について、酷評ともとれる言葉を残している。
ブーニンの評:「あんな庭園はロシアのどこにもなかった」
「チェーホフはああ書いたけれども、ロシアには、桜ばかりが植えられた庭園など、どこにもなかった。なるほど、庭園の一部に桜が植わっていることはあり、それがかなり広い場合もあったが、チェーホフの描いたように、地主屋敷のすぐ脇にあることはない。モスクワ芸術座の舞台の地主屋敷では、すぐ窓際から大ぶりな桜が満開になっているが、ロシアの桜は、周知の通り、ぜんぜん美しくなく、なんの変哲もない。花も葉も小ぶりだ。
おまけに、ロパーヒンが、桜の園を手に入れるや、矢も盾もたまらず、元の持ち主に家を出る暇も与えず、高価な樹をただ切り倒しにかかる、というのも、とてもありそうにない話だ。ロパーヒンがこんなに急いで伐採しはじめたのは、あきらかに作者チェーホフが、劇場の観客に斧の音を聞かせ、貴族の生活の死を目の当たりにさせるためだったろう。そして、家に取り残された老僕のフィールスに『わしのことを忘れていったな…』と言わせるためだ。
この老僕はかなりほんとうらしくみえるが、しかし、それは、こういうタイプの老いたる召使が、チェーホフ以前に100回も描かれているからだ。くどいようだが、他の点は、ただもう批判に耐えない。チェーホフは、地主屋敷を知らなかった。こんな庭園はなかったのだ…」。
小林秀雄:「そもそも実人生ではない」
ブーニンは実際のところ、なにを言いたかったのだろうか?… 彼がおそらく言外にほのめかしていると思われることを、日本の批評家、小林秀雄はもっと直接的に言っているようだ。
小林は、自分の夢にチェーホフがでてきたという体裁で、『桜の園』について作者にこう言わせる。
「八〇年代のロシヤの風俗を描いた? 冗談でしょう。何年代のどこの風俗でもないですよ。ありゃそもそも実人生ではないですよ。しかし忘れないで下さいよ、実人生の芝居の底には、もう一つの人形劇があるという事を。私の発見かも知れない、私の幻かも知れない。いずれにせよ確かな事は、もう直き死なねばならんという事です。はっきり予感しておりますよ。死という人生最大の平凡事がもう直ぐやって来るとね」(「チェホフ」、昭和23年)。
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