ネパール生まれ。異境や変わった場所に魅せられてヒマラヤ山脈に登り、シリア、アルメニア、カフカスの古代遺跡を探検した。チベットと絆が深い旧ムスタン王国(現ネパール)も訪れた。
私たちはカムチャツカでのサバイバルに関する映画の撮影のため現地へ空路で向かった。
中心都市ペトロパブロフスク・カムチャツキーは、モスクワとの時差が8時間。体はまだ眠っている。
隣接するアバチャ湾には観光客の姿が見える。だが私たちは湾ではなく火山の方に向かった。案内役が助言をくれた。
「熊との鉢合わせにそなえて発火筒をご用意ください。逃げようとしても無駄ですから」
日の暮れるころに火山の輪郭が見えてきた。地の果ての火山自然保護区にいる実感が湧いてくる。火山に登る前に私たちは、数時間、でこぼこの砂利道に車を走らせた。
ムトノフスキー火山
モスクワ発ペトロパブロフスク・カムチャツキー着の航空便を利用できる。所要時間は9時間。サハリンやウラジオストクから船で行くのも可能だが、移動時間は長い。カムチャツカへの鉄道はない。日本からはウラジオストク経由かハバロフスク経由で、ペトロパブロフスク・カムチャツキー行きの航空便が便利。ウラジオストクからは約3時間、ハバロフスクから約2時間半。航空運賃は6000~1万2000ルーブル(約1万8000~3万6000円)。
ムトノフスキー火山は世界最強クラスの噴気孔で知られている。
渓谷の短い緩斜面を登っていくと、腐った卵のような臭いがしてくる。地下深くから噴出する亜硫酸ガスが風に運ばれてくるのだ。
最後の50メートルの急斜面を登り切ると、最初の噴気孔が見える。まさに地獄絵のようだ。
足元では、小さな間欠泉がごぼごぼと音を立て、あちらこちらの大きな穴からは熱い蒸気がしゅうしゅうと噴き出している。
時折、気まぐれな風が有毒ガスの塊をこちらへ運んでくる。布で口をふさぐしかない。
ムトノフスキー火山の噴気孔はひと冬越すとがらりと様変わりするため、去年は難なく歩けた道が、今年は危険極まりない、ということがよくある。
ムトノフスキー火山に登った後では、ゴレールイ火山の登山など気楽な散歩のように思われる。
美しい眺望、澄んだ空気、きらめく太陽。クレーターの縁にたどり着くと、眼下に氷片の浮かぶ湖が見え、隣には小さな壁を隔てて酸性の湖が並んでいる。
1960年代末、ロシアは宇宙開発に力を入れており、最重要テーマの一つは月探査であった。そのためには月面走行車が欠かせなかった。
当時、学者らは、月面は火山の噴石と似ているとして、カムチャツカに注目した。69~70年、極秘にトルバチク地区で、月面走行車のさまざまなテストが実施された。
トルバチクの大噴火
1. カムチャツカには哺乳類58種、鳥類232種、魚介類93種、植物763種(うち38種は希少植物)が存在する。
2. ソ連時代の1960年代に有人月旅行計画考案の際、探査車実験のため、月面に近い土壌の地が求められた。鉱滓(こうさい)状溶岩が最も近いとの結論から研究者たちはカムチャツカに注目した。トルバチク山周辺地域と月面の一致率は96%。
3. カムチャツカには美しい村カイヌィラン(コリャーク語で「熊の片隅(へき地)」の意)がある。ペトロパブロフスク・カムチャツキーから約40キロ離れたカイヌィラン文化センターは、熊の生息地見学を企画し、住居、犬ゾリ、舞踏、料理などの先住民の生活を紹介している。
75年にこの地区ではトルバチクの大噴火が起き、1年以上にわたり、地獄を思わせる状態が続いた。
火の玉は2キロも飛び散り、ガスの流出速度は音速を超えた。
ガスと灰は5~6キロの柱状に立ち上り、火山灰は1000キロもたなびいた。
植物は400平方キロ以上にわたって全滅し、ようやく今、ところどころに下草が生え始めたところだ。
私たちが野営を設けた日の午後、クリュチェフスカヤ山がとどろき始めた。近くで軍の演習でもやっているのかと思われるほどだった。
ほどなく、私たちのテントにうっすらと灰が付着し始めた。そして、巨大な白い柱が上空へ立ち上った。
それは溶岩が氷河に達したためだと後で分かった。
Geo Photo/Lori Legion Media撮影
火山灰の層は7メートル
私たちがテントを張った場所からそう遠くないところに「死の森」、すなわち、トルバチクの大噴火の際に滅びた森の残骸がある。
不気味なことこのうえないこの場所は、まさに恐山。事故で墜落した飛行機の尾翼が転がっていた。
死の森は下半分が火山灰で埋まっている木立の上の部分である。その辺りでは火山灰の層の厚さが7メートルもあり、植物が表面に達するのはまだまだ先のことという。
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