ウラジオ近郊で島の探検

プチャーチン島のさらに沖合にある、蹄鉄型のアスコリド島へのアクセスは簡単ではないが、島にはそれなりの歴史がある =shamora.info/Ася-А撮影

プチャーチン島のさらに沖合にある、蹄鉄型のアスコリド島へのアクセスは簡単ではないが、島にはそれなりの歴史がある =shamora.info/Ася-А撮影

ウラジオストクは半島に位置し、その南南西にはウジェニー群島に属す、ルースキー島、ポポフ島、レイネケ島、リコルド島、その他小さな島々が続く。また東にはプチャチン島やペトロフ島といった、興味深い歴史を残す島もある。ウジェニー群島という名称は、ロシアがウラジオストクを築く前の1850年代に、ヨーロッパ人としては初めてこの島を地図に記入した、フランス人が考案したものだ。ダイバー、自然愛好家、また古代から現代までの歴史愛好家にとって、魅力が凝縮された島となるかもしれない。

APECが開催されたルースキー島

 ウラジオストクに一番近く、ウジェニー群島の中でもっとも大きいルースキー島に行くのが一番簡単だ。昨年には本土との間に橋がかけられた。この海峡は、 トルコのボスポラスにちなんで、東ボスポラス海峡と名づけられている。森林におおわれたこの島の面積は、約100平方キロメートル。ウラジオストクの南端 を守るように位置していることから、ウラジオストクの要塞の一部となり、砲台があちこちに設置された。ソ連時代には軍隊が多数ルースキー島に駐在していたため、ウラジオストク(当時は閉鎖都市だった)市民でさえ、この島に行くには特別な通行証が必要だった。

 以前兵舎があった、アヤクス湾に面している場所は、極東連邦大学のキャンパスに変わった。新キャンパスや本土との橋は、ウラジーミル・プーチン大統領の 主導のもと建設されたもの。昨年開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の会場がこのキャンパスで、新年度の始まりに合わせて学生や教授が 本土から引っ越してきている。島には20~30キロメートルの舗装道路が敷かれたものの、残りは土の道のままだ。島のあちこちに帝政ロシア時代やソ連時代 の兵舎の廃墟があり、丘には地下連絡路が掘られている。大学の他に、国内最大の水族館も建設されている。「ポルタヴァ」戦艦の口径305ミリメートルの3 連装砲塔を装備した「ヴォロシロフ砲台」の博物館は、島の観光客に人気がある。これは日本からの攻撃を想定して、1930年代初頭に設置したもの。この砲台の下には複数階の地下室があり、見学できるようになっている。

ヴォロシロフ砲台 =ワシーリー・アフチェンコ撮影

 島には地元の人が泳いだり、釣りをしたりしている美しい入り江がいくつもあるものの、開発はあまり進んでいない。極東連邦大学のキャンパスやいくつかの 小さな村を除き、依然として島はタイガ、山、また狩りの道をほうふつとさせる昔の軍路があるだけの半未開の地だ。地元政府によれば、今後はウラジオストク 市の一地区として、マンハッタンを目指すという。

 

最高のビーチがあるポポフ島とレイネケ島

 ルースキー島のさらに先にはポポフ島とレイネケ島がある。春から秋にかけてのシーズン中は、旅客船が定期航行している(時刻表)。 人はあまり住んでいないが、海水浴シーズンになるとそれなりににぎやかに。ポポフ島には極東国立海洋保護区博物館がある。またレイネケ島には兵舎の廃墟が あり、ロシアのロック・バンド「ムミー・トローリ」のリーダーを務めるウラジオストク出身のスター、イリヤ・ラグテンコは、1980年代にここで兵役に服 していた。海水がきれいで7月から9月までは温かいため、両島に多く点在するビーチは、最高の休息場所になる。

 その先のリコルド島は風光明媚で、休息に適しているが、定期連絡船がない(その代わりボートはレンタル可能)。海洋保護区に属するロシア最南端のフルゲリム島へ行くのはさらに困難だが、美しくて魅力的な島だ。ここは北朝鮮との国境に近い。

 

蓮平原のあるプチャチン島

 ウラジオストクの東側にもさまざまな島がある。中でも大きいのはプチャーチン島とアスコリド島。プチャーチン島には現在、1000人ほどが定住している。 19世紀から20世紀にかけて、島には極東で有名な実業家アレクセイ・スタルツェフの陶器・レンガ工場があった(ウラジオストクの建物の多くがこの工場の レンガでつくられている)。島には馬車鉄道も敷かれていた。ソ連時代、ここでは国営毛皮獣飼育場と魚類加工工場が操業していた。島は現在、人気観光ルート に加わっている。レッドデータブックに掲載されている、仏教のシンボルかつ美しい水生植物のコマロフハスが咲くグシノエ湖は、島の名所だ。行政的には軍事 閉鎖都市であるフォキノに入っているが、島への出入りは規制されていない。本土のドゥナイ村からはフェリーボートが航行している。

 

灯台と野生のトナカイのアスコリド島

現在はほぼ無人で、灯台のみが立つ、野生のトナカイの島となっている =shamora.info/Ася-А撮影


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 プチャーチン島のさらに沖合にある、蹄鉄型のアスコリド島へのアクセスは簡単ではないが、島にはそれなりの歴史がある。1868年、無許可で金を採掘して いた中国人とロシア政府の間で対立が起こり、これをきっかけに「満子戦争」(満子とは沿海地方に住んでいた中国人の呼び名)が勃発。ロシアのいくつかの村 を焼き尽くしていた中国の略奪者「紅胡子」を制圧するために、軍隊を出動させなければならなくなったのだ。この島にはソ連時代、学校や病院が整備された軍 事都市があったが、現在はほぼ無人で、灯台のみが立つ、野生のトナカイの島となっている。

 

シャーマンの伝説が伝わるペトロフ島

ペトロフ島 =ワシーリー・アフチェンコ撮影

 伝説のペトロフ島は、本土のキエフカ村近くに位置する(ウラジオストクからは東側のシホテアリニ山脈の南支脈をこえて約200キロメートル)。ラゾフス キー保護区に属しているため、保護区の事務局に事前に申し込むことが必要。事務局はモーターボートを提供している。ペトロフ島の観光は、謎に満ちた渤海国 の遺跡である要塞の堡塁やイチイ林があって、なかなかおもしろい。

 木、石、泉などの島の自然は、さまざまな神秘主義と結びついている。ある木の樹皮には シャーマンの顔が突然浮かび上がってくる、泉の水は女性の妊娠をうながす、木の枝は永遠を意味する中国の漢字の形に曲がるなどと言われている。またこの島 では、突然機械式時計が止まったり、携帯電話が切れたりする、不思議な現象が起こるという。

 ウラジオストク周辺には、他にもウシ島(見る方向によっては沈没する船のような形をしている)、第二次世界大戦中に高射砲女性兵士が活動した、最古の灯 台のあるスクルィプリョフ島、大きなクジラの胴体のような形をしたスクレプツォフ島などの小さな島々がある。それぞれの島のたくさんの歴史が地元の人に言 い伝えられているが、現在ではどれが真実でどれがそうではないかを判断するのは難しい。これらの島は、モーターボートや帆走ヨットで簡単に周回可能。

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