「出発時に自分が帰還することはないだろうと告げられたとしても、自分は海へと向かっただろう。人が青春期以来の夢を叶えられることは滅多にないのだから。それに、俺は生涯ずっと世界一周の航海に出たいと夢見てきたのだ」とセルゲイさんは言う。
1匹の雌ネコと出航したが
セルゲイさんは2011年12月5日、ハリファックス(カナダ大西洋岸)を1匹のネコ、ツィルヤと共に出航した。しかし彼は、自分の「娘」はこの危険な旅をいつでも断念する権利を有するべきたという強い信条を抱いているため、停泊する度に、彼は必ずこのネコに“退船”する機会を与えている。そのツィルヤは出航に遅れたことが1回もなく、この海上の休暇を存分に楽しんでいる。
写真提供:ミハイル・ツィガノフ
3本足のネコとの出会い
しかし、これにはまったくもって予期せぬ結果が伴った。
バハマに停泊中、彼女は地元のネコとけんかをしたので、セルゲイは彼女をそこにある獣医の診療所へ連れて行った。獣医が彼女の怪我の治療をする間、彼はホームレスのペットのためのシェルターを訪問し、そこでネコの「アリ」に出会った。
「アリ には脚が3本しかないんだ。事故で1本を失ったんだよ」とセルゲイさんは言う。
「彼はシェルターで2年間を過ごしたが、俺が彼に出会った時、彼は他のネコたちのための囲いの間に一匹だけで座っていたんだ。おそらく彼は、それまで何年もあのネコたちからひどい仕打ちを受けてきたんだろうな」。
「アリはすぐさま俺のバッグの所に来て座り込んだんだ」とセルゲイは回想する。「そしてどういうわけか、彼が俺にこう言うのが聞こえたんだ。なあ、あんた、頼むから俺を置き去りにしないでくれよ」。
「もちろんあんたと行きたいさ」
セルゲイはアリをツィリヤに紹介し、2匹はとても良い仲になった。
しかし、バハマを出発する前に、彼はこのネコにもう一度話しかけた。「いいか、これは危険な旅なんだぞ。陸地に再びたどり着けないかもしれない。だから、本当に行きたいのなら、それを俺に分かるように教えてくれよ」。
すると、アリはこう答えた。「もちろんあんたと行きたいさ」。
そしてそれが3匹になり…
写真提供:ミハイル・ツィガノフ
マイアミから15マイル離れるやいなや、ツィルヤはその都市を記念して名付けられたマイカという黒い子猫を産んだ。
西サモアからバリに向かう航路で、さらに4匹のかわいい子猫が生まれた。
さらにこれが8匹になると、さすがにセルゲイでも手に負えなくなった。そのため、バリからモーリシャスに向かう際に、彼は3匹の“常務乗組員”だけを連れて出航した。
だが、それは残りの「子どもたち」4匹に愛情を注ぐことができる飼い主を確保してからのことだった。
そしてセルゲイさんは現在、2年前に最後の持ち金だった1,000ドルをはたいて購入したヨットに乗って、インド洋の中心あたりを航行している。もちろん、1972年に建造され、それだけ「たくさん」のお金がかかってきた船舶には、さらに相当な修復作業と新たな機器を要した。
ブログで瞬く間に寄付が集まる
そこで、セルゲイは、自身のブログの読者から寄付を募ることにした。
「すると次々と寄付金が届き始めたんだ」とセルゲイさんは回想する。
「2ヶ月だけで、ヨットの準備をして、停泊場の請求書を支払うのに十分なお金が集まった。俺の力になってくれた人たちが求めたことは、ただ一つだった。なるべく早く出航して、自分の目で見た世界を紹介して欲しいということだ。だから今、俺はそれをできる限りやっているんだ」。
舟を漕いで世界一周するのが夢
「海、熱帯の酷暑・・・塩で肌が傷むし、水も足りない。それに危険・・・いったい何のためなんですか?」と筆者はバリでセルゲイさんに尋ねた。
「俺は生まれるのが遅すぎたんだ。帆走の世界で可能な世界記録は、何もかもが既に達成されている」と彼は答える。
「だから残っているのはローイングだけなんだ。俺は世界で初めて、舟を漕いで世界を一周する人になることを夢見ているんだ。だから、この旅は一種の予備調査のようなものだ。航行中にいろいろなデータを収集して、それを櫂で漕ぐときに活用するというわけだ」。