=アントン・パニン /ヴャチェスラフ・ワズリャ撮影
その典型的なシナリオは、ソ連時代の軍拡競争や国家電化委員会の計画実現の際に誕生した町の緩やかな消滅というものであり、ソ連崩壊後、町を維持するための財源も愛国心もうせてしまった。多くの移住者と異なり、ゴーストタウンの住民には帰るところがない。
そんな「死せる町」コルズノボについてはほとんど知られていない。ロシアとノルウェーの国境から30㌔離れた北極圏内にあり、軍の駐屯地の解体後はもぬけの殻に思われる。
だが、インターネットでは廃れた町にとどまって近くのムルマンスクの快適な住まいを断った「一握りの向こう見ずたち」の消息が散見される。
ヘッドライトが雪に埋もれた道を照らす。低い気温が、コルズノボの廃虚、鼻の折れたその記念像、さびた自動車を冷凍保存し、それらをソ連時代の展示品に変えたかのように思われる。
暗闇と静寂の中で雪の降る音が聞こえる。すると、突然、笑い声が弾ける。平屋の小さな建物の窓に駆けっこをする運動着姿の子供たちが映り、亜麻色の髪の乙女がホイッスルを吹いている。
一見生気のないように思われる近隣の家や町の子供たちが小さなスクールバスで通ってくる。コルズノボには約250人が暮らしており、42号棟と43号棟はボイラーで暖められ、行政府や小中学校の中はほぼ丸一日電灯がともっている。北極圏の夜は空が数時間しか明るくならないのだ。
コルズノボ近郊の北方艦隊の空軍基地で人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンが3年間軍務に服した。行政府の向かいに立つソ連の宇宙開発の英雄たちの胸像と青緑の飛行機がその一端を物語っている。1965年の夏、ガガーリンはすでに名立たる宇宙飛行士としてコルズノボへ帰還した。演説を行った第7番学校にはガガーリンを記念した小さな博物館がある。ここでは宇宙航空学愛好家クラブに所属する生徒たちがソ連時代の慣例にならって、外国人も含め来訪者のガイドを務めている。
地元の学校の校長、タチヤーナさんはこう語る。「連隊が解体されて人々が去りはじめると、もちろん寂しかったですよ。けれども、別れはいつだって寂しいものです。私たち夫婦にはクラスノダールに住居が与えられていましたが、ここにとどまることにしたのです」
軍人が妻子を連れてロシア全土からここへ集まり、タチヤーナさんも35年前にここへ移り住んだ。連隊がコルズノボからセベロモルスクへ拠点を移した1998年以後、商店だけでなく、格安の運賃でモスクワまで飛べた飛行場もなくなった。
元は軍のパイロットで今は教員のウラジーミルさんは「うちの学校では、コルズノボで育ってムルマンスクで勉学を終えて戻ってきた若い女性教師たちが働いています。生徒は、軍人がまだ残っていても学校のない近隣の町の子供のほうが地元の子供より多く、そのおかげで私たちは暮らしていけるのです」と話す。
太陽はなおも地平線から顔を見せない。まさに極夜である。太陽のようにでっかい月の冷たい光が、窓に乏しい灯がともる2棟の家と学校の前のスケート場に落ちている。
子供たちが、相手を雪の山へ倒したり犬とじゃれたりしながら家路をたどる。「私たちの目の黒いうちはコルズノボもなくなりません」とタチヤーナさんは言い切った。
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