ウラジミル・アスタプコヴィッチ/ロシア通信撮影
ソ連では労組加盟が義務付けられていたので、産別、地域別の団体がすべて加わっていた中央労組機関は、豊富な資金と影響力をもっていた。積立金はぜんぶ、初めは上に吸い上げられた後、承認された予算に従って配分された。労組はまた、社会保険のシステムも仕切っていたし、厖大な不動産も保有していた。
ソ連労組の後継者
ペレストロイカが始まると、一切合財何もかも変えることが決められた。「1989年に、資金の大部分を地方にそのまま残すようになった。労組幹部は金がなくなり、その後、ストライキ用の基金を創設したり、統一された綱領を作ることもできなくなった」。こう説明するのは、ロシア独立労働組合連盟(FNPR)書記であるアレクサンドル・シェルシュコフ氏だ。「資金の大半は、組合員の生活扶助に向けられ、その割合は時に90%にも達した」
連邦崩壊後は、新たな組織が誕生した。ソ連労組の後継機関であるFNPRだ。現在、これは最大の労組で、2100万人が加盟している。「最初、この組織は、民主化と新生ロシア政府を支持していたが、その後、経済改革が行われ、物価が高騰し、市民生活が悪化するに及んで、大統領の反対派に回った」。こうシェルシュコフ氏は回想する。
この当時、労働運動は活発で、数万人規模の集会が開かれ、労組は国会の選挙にも参加していた。後には、「労働連盟」として、労組の代表者の一部が下院議員となり、今にいたるまで活動している。「プーチン氏が登場すると、政権との関係は正常化し、好況が続いたため、労働者の権利のための闘争は活性化しなかった」。シェルシュコフ氏は指摘する。
新顔と独立系労組
話は遡るが、ペレストロイカ初期に、FNPRに属さない労働運動がいくつか誕生した。それらが生まれたのは、炭鉱のある地域(ケメロヴォ州とヴォルクタ州)での数万人規模の炭鉱ストライキの結果だ。また、シベリアのその他の地域でも、独立系の活動家により、そうした組織が創られた。
今では、これらの人々は皆、「ロシア労働総連盟」(KTR)にまとめられている。組合員は約100万人。シェルシュコフ氏によると、一企業レベルの小さな労組もあるという。
独立系の労組のなかで最も目立った現象は、「地域間労働組合協会」(MPRA)だ。これはもともと、サンクトペテルブルクにある自動車メーカー「フォード」の工場の労組から発展したもの。
かつてフォードの幹部は、溶接工だったアレクセイ・エトマノフ氏を、ブラジルで開かれた同社の労組セミナーに派遣した。以来、この労組はエトマノフ氏に率いられ、社の幹部との闘争を展開するようになった。ブラジル出張の3ヵ月後には、同氏は1週間のイタリア式ストライキ(作業速度を落とし、生産性を下げる)を行う。2007年には、工場は何度か操業を停止し、そのうち一度は停止期間が1ヶ月に及んだ。
国立経済高等学院の国家・自治体行政学部のパーヴェル・クデュキン准教授によると、この労組は、ロシアのストライキ実施を難しくする法律を上手くかいくぐり、雇用者に太刀打ちできているという。
また、独立系の労組は概して、FNPR傘下の組合に比べると、臨機応変に小回りが利くと、同准教授は指摘した。
労働運動発展を妨げるもの
しかし最近、明らかに否定的な傾向が現れている。労組幹部が、資金の使途で法律に違反したとして告発される刑事事件が増えていることだ。「昨年は、ヴォルゴグラード州労組委員会議長が、資金の不正な使途で懲役9年を言い渡された。つい先ごろ、シェレメーチェヴォ空港の航空業務労組の複数の幹部が、懲役5年半から6年半の判決を受けたばかりだ。ナホトカでは、港湾労働者の労組の指導者が約6000ドル(約72万円)を不正に使用したとして、懲役3年を科せられた」。シェルシュコフ氏はこう指摘する。「労組には管理機能があるのだから、治安機関の行動は、内部への干渉に見えてしまう」
一方、クデュキン准教授の指摘するところでは、ロシアで労組の活動を妨げている最大要因は法律だ。ロシアの法律では、ストライキを行い、雇用者と合意に至るのが事実上不可能になっているという。「もし、企業の職員の半数以下しか労組に入っていなければ、その労組は、集団交渉権を失う。合法的にストライキを組織することも事実上不可能だ」
とはいえ、今では、ロシアの労組が国際的に認知されつつあることも指摘しておきたい。ソ連時代には、多少なりとも「真面目な」団体とはみなされていなかったのだ。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。