ワシリー・マスレンコフ=個人所蔵の写真
ソ連の学校教師ワシリー・マスレンコフは、戦場から妻と娘に150通以上の手紙を書き送りましたが、1943年8月、モスクワ西方約400キロのスモレンスク近郊で戦死。家族のもとへ帰ることはついにかないませんでした。娘のタマーラさんは父と同じく教師になりましたが、ようやく今年、2015年になって、父が死後、勲二等祖国戦争勲章を授与されていたことを知りました。これは、ロシア国防省の後援による、ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)のオンライン・データベース「勝利の星たち」(ロシア語)から分かりました。
4年近くに及ぶ大祖国戦争(独ソ戦)の全期間に、赤軍の将兵には3800万個の勲章やメダルが授与されたが、残念ながら、ついに受けとれず仕舞いになった人が多かったのです。しかし、このデータベースにより、かつて受賞できなかった将兵自身にくわえ、その親族も、その辺りの事情が今までよりはよく分かるようになりました。
「愛する妻よ!」。マスレンコフはある手紙にこう書いています。「僕たちが別れてからもうすぐ11ヶ月だ。数日はおろか数時間の別離さえ嫌だ、思っていたことをよく覚えているよ」
今や彼の思い出は、娘のタマーラさんが大事に保存してきた手紙と戦前の写真に跡をとどめるのみです…。
戦後70年が経ち、戦争体験者とその子孫の多くが世界中に散ってしまっています。もし、あなたにロシア人の友人、知人がいたら、このサイトをのぞき、その人もしくはその親族がかつて勲章を貰い損ねたのではなかったか、調べてみていただけませんか?
ロシアNOWは、このサイトのおかげで見つかった赤軍将兵についてお伝えしていきたいと思います。 もし、あなたにもお話しになりたいこと、お伝えになりたいことがあれば、info@rbth.com宛にどうぞ。
サイトに掲載されているように、読者の皆様のおかげで、いつかの家族、いく人かの女性の物語が明らかになりました。もっともそれは、8200もの氏名のうち5名にすぎませんが…。
残念なことに、法律上、大祖国戦争中の勲章、褒章は、授与された当人でないと受け取れません。もしその人が死んだり行方不明になったり、あるいは戦後に死亡したりして、ようやく今になって授与の事実が明らかになった場合、その未亡人または子供は、然るべき書類があれば、授与の証明書を交付してもらう権利があります。
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