修道院へ行くロシア人は何を求める

ロシアで最も有名な修道院の一つであるロシア北西部の白海に浮かぶソロヴベツキー諸島修道院の食堂。巡礼者や旅行者を輸送する修道院のボートにはイコンが装飾されている。

ロシアで最も有名な修道院の一つであるロシア北西部の白海に浮かぶソロヴベツキー諸島修道院の食堂。巡礼者や旅行者を輸送する修道院のボートにはイコンが装飾されている。

現代の修道院がどんなシステムなのか、米国ミシガン州の一住民がなぜウラルの奥地の修道士になったのか、修道院の何がロシア人青年の心を捉えるのかを知るため、ロシアNOWの記者がウラルとシベリアの宗教的中心地であるベルホトゥルスキー地方へ向かった。

 「もし神様の意に添わなければ、私がこんなに早く髪切りの儀式をして修道士になるのを神様は許さなかったと思う。今、必要なのは、修道生活を続け、さらにその先へ進むこと。私は誰に『誓願』を強制されたのでもない。自分の意志で『誓願』を立てたのだ」。26歳の修道輔祭エラストさんはロシアNOW記者との会話で、そう語る。スビャト・ニコラエフスキー男子修道院で最年少の修道士だ。修道院は、エカテリンブルグの北300キロ、モスクワの東1400キロの奥地、ベルホトゥルスキー地方にある。

 この青年は、修道生活の3つの「誓願」を立てた。清貧(修道士は高価な財産を所有できない)、貞潔(修道士は結婚できず、決して女性との親密な関係を持ってはならない)、従順(修道士は教会の権威に従わなければならず、奉仕の場を勝手に離れてはならない)という「誓約」だ。

 「つらい時も誘惑もあるが、そんなとき、私は祈る。美しい女性を見かけると、目を伏せて通り過ぎ、僧房に閉じこもった。『そんなものがなぜ必要か? お前は修道士ではないか。女性のことは捨て置け。行かせるがよい』と自分に言い聞かせた」とエラストさんは語る。

スビャト・ニコラエフスキー男子修道院の修道士=ダリア・ケジナ撮影

 肉親との連絡手段は、電話とロシアのソーシャル・ネットワーキング・サービス「Vkontakte(フコンタクチェ)」。ここに時々新しい写真を掲載する。

 将来に対するエラストさんの姿勢は思索的だ。「20年後の私に何が起こるかは想像もできない。高位聖職者や主教になっているとは思えない。修道生活には出世などという概念はない。許される限り、キリストと共に生きたいだけ」

 

修道院は何で収入を得ているのか? 

 エラストさんが生活しているスビャト・ニコラエフスキー男子修道院は、ウラル地方最古の修道院だ。ベルホトゥーリエに創建されたのは1604年。ロシアの教会がまだ国家と分離していなかった時代だ。1917年革命の後、修道院は閉鎖され、この建物は収容所になった。修道院の復興が始まったのは、ようやく1990年だった。

 現在、これは公開の修道院で、奉神礼の献金、寄進、巡礼者の活動で維持されている。修道院で生活しているのは、修道士30人、神学生25人、約30人の巡礼者で、いろいろな仕事をやっている。

 ベルホトゥーリエ市から30キロの人里離れた美しい村コストィリョワにある男子修道院、スビャト・コシミンスカヤ森林修道院は、全く違うシステムだ。ここの修道士たちは、森や草刈り場でヤナギランを採集し、それを発酵させて、古代から薬効で知られているヤナギラン飲料を作ったり、球果や森のイチゴでジャムを作ったりする。修道院の製品はロシアの多くの都市に配送される。イノナ・リラ修道司祭がロシアNOWに話してくれたところでは、ヤナギラン収穫期には修道士全員が1日24時間交代で働き、1日に1トンの割合で新葉を加工するとのこと。

 「私たちはできるかぎり肉体労働と祈祷を両立させる。厳しい祈祷労働の源であり、私たちが目指さねばならない、修道士の理想を忘れてはならない」と主任司祭のピョートル修道院長は言う。

 ここの修道士たちの信仰が本物であることを疑うのは難しい。ここの生活は、厳しいアフォン修道院の規律に則っており、女性が敷地内に立ち入ることは許されない。森と野に囲まれた遙かに見える白亜の僧院は、中世の難攻不落の城塞の印象だ。壁の向こうにある携帯電話基地局のアンテナと、修道院の扉に取り付けられたインターフォンが、私たちが21世紀にいることを思い出させてくれる。

 スビャト・コシミンスカヤ修道院の形成が始まったのは1994年から。現在、ここで25人の修道士が暮らしている。元軍人、元警察官、元ミュージシャンなど、出身はさまざまだが、中にはウクライナやカザフスタン、さらに米国ミシガン州出身の修道士もいる。

 米国出身の修道士はまだ28歳。スビャト・コシミンスカヤ森林修道院に暮らし始めて5年になる。修道院指導部は、この修道士をジャーナリストには会わせずにいるが、この一風変わった巡礼者の経歴を話してくれた。彼はサンクトペテルブルグに生まれ、まだ小さな頃に母に連れられて米国に渡った。そこで神学校に入ろうとしたが、インターネットでウラルの修道士たちのことを知り、文通したのち、その仲間になることを決めた。「不思議だ。自分の居場所をここに身つけるため、はるばる海を越えて来なければならなかったのだから」と修道士たちはこの米国人について語る。

 

修道生活が長続きしない人は?


スビャト・ニコラエフスキー男子修道院=ダリア・ケジナ撮影

 スビャト・コシミンスカヤ森林修道院は、申し分のない食事と医療サービスを備えた修道院だが、ここに残る人はわずかだ。髪切りの儀式を経て修道士になるまでの最初の5年間は、修道院に暮らす誰でも、いつでも修道院を去ることができる。それは背信行為や小心とは見なされない。「実際に何が人を修道院に導くのかを、誰かが言えるとしたら、神様しかないだろう」とベルホトゥーリエの修道士たちは考え、こう予告する。「絶望や人生の失敗が人を修道院に連れて来ることは決してない。もし連れて来たとしても、そんな人はここに長くとどまることはない」

 スビャト・コシミンスカヤ森林修道院の経験によれば、刑事犯罪の過去を持つ人たちも修道院生活をする能力がない。既婚の男性を性急にここに受け入れることはしない。12人の子供がいて、そのうち2人の娘が修道女、3人の息子が聖職者だという、ある高齢のモスクワの長司祭神学者の話によれば、「もし修道生活がなければ、家庭生活は無意味なものになっただろう」とのこと。理想においては、家庭生活と修道生活に原則的な差異はなく、家庭生活というのは修道院みたいなものだと考えられる。どちらにもそれぞれの規則があり、それぞれに聖なるもの、聖なる出来事がある。

 「だから、もし家族がいるのに、修道院に来て、修道士になりたい人がいたら、その人に言うだろう。『許しておくれ。君にはもう自分の<修道院>があるのだよ』とね」。ピョートル修道院長はそう言った。